大学の道 #1明徳
大學の道
原文:大学之道、在明明徳
ー大学の道は、明徳を明らかにするに在りー
意味:大学の道(大学の目的)は、明徳を(身につけてそれを)発輝させることである
解説:
大学には一般的には2つの意味があります。1つは最高学府という学びの場所を意味し、現在の学制においても大学は高等教育を受ける場所で、もう一つは大人の学び、高度の教学という意味であります。つまり大学とは偉大な人間になるための学びで、儒教でいう”君子”になるための学びです。
その君子とは何か?偉大な人物とは何でしょうか?
それは政治家社会的地位や高い年収を得る、歴史に名前を残す、などのいわゆる”勝ち組”になるため…ではなく。自分自身の夢や理想、それを実現するために、自身が想い描く理想的な人物、目標とすべき人物に近づきたい、そのために為すべき学びの道が”大学の道”ではないでしょうか。
そして明徳とは、人間が誰しもが持っている特性や可能性を引き出し、良心や善の部分を育て、それらを実践していくことです。そしてどんな特性や素晴らしい可能性があってもそれを実行しなければ出来ていないと同じです。良心があったとしても、それを実行せねばならなければ善行にはなりません。大事なことは明徳を実行していくこと、それらを自分の生き方に発現し、体現していくことなのです。
論語にもあります「先ずその言を行い、而して後にそれに従う(意味: 言わんとする事をまず行い、然る後に言うのが君子である)」と、とにかく明徳は実行することが大事です。
それを別の言葉で言い換えれば”知行合一”とも言います。知行合一は儒教の四書五経が完成された後の時代、明の官僚でもあり軍人でもあり、数多くの門弟を持った教育者でもある王陽明の言葉です。知ることと行なうことは分けれるものではなく、表裏一体の物であるということです。
例えば満員電車で椅子に座れずに困っている高齢者や妊婦さんなどを見かけたときに、可哀想だと同情するだけでは、そこに少しの良心はあっても思うだけでは決して明徳にはなりません。先程の論語の言葉ではありませんが、先ずはその言(思い)を行なうこと、この例で言うなら、そういった困ってる人を見たら、自然と席を譲れるような行動ができる、それが明徳です。
親への孝行、友人への態度、仕事への取り組み方、自分の個性を活かす、これら全ての場面に明徳を発揮する機会があります。
この”明徳”は古典大学において重要なテーマであり、本当に数多くの解釈が出来ます。この明徳とは何か?をライフテーマにして追求し続けた禅僧もいたくらいです。学校や企業名など本当に多く利用されています。特に有名なのが甲子園常連高校の明徳義塾高校です。
明徳を明らかにす、この命題をどれだけ実践出来るかが大學の道(学び)において大事になってきます。