本当の幸せってどんなこと?
こんにちは😃児童養護施設や少年院出身の青年の自立サポート団体・NPO法人スマイルリングでの日常やあれこれを、毎日更新しています☺️
昔からお節介な私は
スマイルリングに出会うずっと以前のことだが、近所に住むアルコール依存症の母子と関わっていた。
アルコールが入ると大声で騒ぎ、トラブルを起こすその母親は、近所中から白い目で見られていたし、
一日中外に居て、騒いだりイタズラをする。時にはお茶碗を持って『ご飯をちょうだい』と同じアパートの人の所へ行くこともあった幼い兄弟たちも、同じく、近所中から“迷惑”がられていた。
近所でその母親と話すのは、私以外には、同じく近所で白い目で見られていた、発達障害で多動症の、“近所で迷惑がられていた子”を持つ、同じアパートのお母さんぐらいだったと思う。
とうとうその兄弟が『児童養護施設』へ行くことになったとき、
『これであの子たちは、毎日ご飯も食べられるし、夜中に外に出されることも無いんだ』
と、少しホッとしたのを覚えている。
しかし、周りから見ればどうあれ、
お母さんのことが大好きなその子たちと、子どもたちのことが大好きな“アルコール依存症”の母親にとっては、離れ離れになるのは、とても悲しいことだったのだ。
そのお母さんはいつも騒ぎを起こし、どう見てもまともに子どもを育てられる人ではなかったかもしれない。でも、お酒を飲まない時にはキレイ好きで、家の中も片付いていたし、子どもたちのことも愛していることが伝わってきた。
飲まなければ…。
でも本人もどんなに頑張ろうと決意しても、半年後にはやっぱりお酒を飲んでしまい、大きな声で騒いでは、パトカーやら救急車を自分で呼んで、支離滅裂なことを言い、隣近所に迷惑をかける。
『あの母親はダメだ』
『だらしがない』
『意思が弱いからまた酒を飲むんだ』
そんな批判の声しか聞いたことが無いぐらい、そのお母さんは荒れて、子どもたちが居なくなった後は、それが更に酷くなった。
時々そのお母さん…私は『ママ』と呼んでいた。 ママのところへ行っては、家に上がりこみ、子どもたちの話をしたり、酔って暴れて救急車…というお決まりコースの時には一緒に救急車に乗って病院へ行ったりしていた。
ある時ママが“シラフ”の時、
『どうして私なんかと話してくれるの?』
と聞いてきたので、私は
『幸せになってもらいたいから』
と答えた。
すると、いきなりママの形相が変わり、
『幸せってなんなの⁈私は生まれてから一回も幸せになんかなったこと無いから分かんないよ!私は幸せなんか知らないんだ!』
と、烈火の如く怒り、叫んだのだ。
あまりに予想外の反応に驚いたが、その後にママが、泣きながら絞り出すように自分の幼少期からの生い立ちを話してくれ、心から“納得”した。
子供の頃から…生まれてきた時から『孤独』な体験をしてきた人間が、誰の支えや手助けも無しに、喜びや希望を持って生活したり、子育てが出来るだろうか。
私は、自分の『幸せになって欲しい』は、まだまだ浅い“幸せの押し付け”だったんだと思った。
と同時に、世間から“白い目”で見られるような生活しか出来ない人だけに問題があるのではなくて、“問題がある人のことを知ろうとしない”社会にも、本当に、大いに問題があるんだということも知ったのだった。
私たちスマイルリングが関わる青年たちは、言い切るが、家庭に100%、何らかの問題を抱えて今まで生きてきているし、それぞれが孤独の闇の暗さ、深さを経験している。
でも、どんなに深い闇の中に居ようと、誰かが目の前にそ〜っと灯りを灯せば良い。
初めはビックリしてしまうかもしれないけれど、誰かが優しく側にいて、真っ暗だった世界に灯りを灯したときから、ゆっくりゆっくりと、その子の世界が暖かくなっていく。
スマイルリングのスタッフは、代表理事の堀ちゃんからして、“普通とは程遠い人生”を歩んできた大人ばかり。
でもだからこそ、『それでも全然大丈夫』と言い切れるから、どんなに悪ぶっていて、大人の話になんか耳を傾けないような青年たちも、まず堀ちゃんには心を許す。
彼らの素顔はあどけない程に純粋だったり、笑顔が素敵だったり、それでもやっぱりいろいろやらかしてくれたりと様々だが、これからの可能性の種を沢山もっているのだけは、ハッキリとわかる。
そのような彼等と接する毎日は、すごい逆転劇のような物語に溢れていて。
私にとっての“本当の幸せ”がそこにあるのだ。
今日も読んで下さってありがとうございます😊✨
NPO法人スマイルリング
理事 ののむら ちあき😁