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光の柱は夢を見る
先週は3日ほど自然の中にいました。
2日間は奥秩父の山へ。
もう1日は茅ヶ崎の海へ。
自然の中にいるといのちを感じ、自分は自然の一部だと実感します。
一方、住まいのある東京に戻ってくるとそれを忘れがちになります。
人の想念、電磁波が溢れるように行き交っている、
自然の風や湧水に触れづらい、
そうしたものに育まれた新鮮な食材が少ない、
天然素材の建造物や製品に触れる機会も少ない。
自然の中にいると、自然と感覚が開くし、気を取られるものも少ない。
一方、都会では不自然な環境に感覚を閉じがち。
加えて様々なものに気を取られて、自分が自然の一部という感覚が失われてしまいます。
この自分とは何者か、という自己認識は案外重要なのかもしれません。
自分が自然の一部という自己認識があれば当然自然と調和した暮らしをしようと思うでしょう。社会もそうしたカタチで発展していくはずです。
しかし、自分と自然は別個だという自己認識なのであれば、仮に自然を大切にしようという思いがあっても、それはペットや観葉植物を大切に扱うような感覚から抜け出せないのかもしれません。
自己認識がどうあれ、人間が自然の一部だという事実は変えられません。
であれば、どこにいても自分と自然が別個だという感覚に陥らず、夢から醒めて、
正確な自己認識を維持していたいものです。
それが循環を生む出発点なのかもしれません。