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幸せな自我とのつきあい方(その1)
今日は、最近日々向き合っている「自我と自意識の切り離し」についてです。
マニアックな感もありますが、自己成長や覚醒に興味ある方には面白いかもしれません。興味ある方はごらんください。
自我の芽生え、自我の確立、と呼ばれる時期があります。
これは成長に必要な過程とされています。
振り返れば自分も、「自分」というものが芽生え、物心(ものごころ)ついてからというもの、自我を確立しようと一生懸命だった気がします。
物心つく前の幼い頃は自分が何者かよくわからず、自他の区別もあまりなかったものです。
しかし、物心ついて幼稚園、小学生とあがるにつれ、親から期待され、学校ではあるべき振る舞いを教わる。友だちとは傷つけもせず、傷つけられることもなく、仲良く遊びたい。そんなことから「自分」を作っていった気がします。
当時を振り返ると、批判や競争にさらされる環境だったこともあり、自分を守ったり、主張したり、が必要で、「いち早く強くならなきゃ」と考えていたのを覚えています。
しっかりとした自我が確立されれば、安心して生きられる気がしたものです。
さて、成人して、社会人になり、今度はビジネスパーソンとしての作法を覚え、
結婚して夫になり、子が生まれ父になり、と過ごすうちに、だんだんと自分の役割も増え、さらに自分に色々と付け足して、なんだか整理がつかなくなっていく感覚がありました。
社会的な役割から連想されるイメージを自我にどんどん付け足していったようです。
気がつけば、「自我」が重すぎる鎧のようになって、
「本当の自分ってなんだっけ?」と自問自答するようなことになっていました。それが30歳の頃だったと思います。
息苦しさを覚え、以来、自分を見つめ直すことで内面の改善に取り組みました。
重すぎる鎧を下ろし始めて、今に至ります。
ずいぶん軽くなって、余計な鎧がなくなった感のある、今です。
最近は正直、「これくらい軽くなればいいかな」と思っていたところでした。
しかし、先月くらいから次の段階が見えてきました。
正確には、押し出される感じに近いです。
まだ別に出たくないんだけど…という感覚。
子宮から産まれるときってこんな感じなのかもしれません。
確かに無理矢理押し出されたらトラウマになりそうです。
おっと、バーストラウマに話が逸れそうです。
自我に話を戻します。
押し出されるように感じる「次の段階」というのは、
自我と自分そのもの(自意識)の切り離しです。
いったん話を整理します。
物心つく前、まだ自他の区別がなかったときにも「自分」という感覚はあります。これが自分そのもの、自意識です。
自意識は、この世で安心してうまく世渡りできるように、
自我を生みだし、確立し、そしてそれと一体化します。
アイデンティティ(自我同一性)の獲得です。
一般的に自我は肥大する傾向があります。
すると、自我と一体化している自意識はだんだんと重苦しさを感じます。
そしてそれが高じると、「素の自分」を見失う感覚が生まれます。自我は素の自分ではないからです。ここでは、「素の自分」は物心つく前の自他の区別がつかない意識(普遍意識)と必要最小限の自我から成るとしておきましょう。
俗に言う、中年期のアイデンティティ危機とは、このように自我が肥大しすぎて「素の自分」がわからなくなってしまう、ことを言うのでしょう。
と、ここまで書きましたが、
ちょっと長くなったので、続きはまた明日。
「素の自分」を見失う感覚から脱出して、その後どこに向かうのか、
その辺りについて今自分が感じていることを紹介しますね。
では、
いったんさようなら。