ウチの子 発達障害!?vol.86~90
vol.86「高校生になりました」
4月6日は息子の高校の入学式だった。3歳の時に幼稚園に入園させてもらえなかった息子が、受験して自分の力で高校に入学できたことは心の底から嬉しい。今までずっと他の子と比べ、あれもこれもできないと引け目を感じていたので、親がたくさん集まる入学式や授業参観、運動会や合唱祭などは憂鬱だったが、ここにきてやっと、そういった気持ちから少し解放された。
一方で息子は、体験授業で一緒だった高津区の3人組の一人と同じクラスになり、嬉しそうだった。この子たちは受験の時も同じ教室だったらしく、ありがたいことに息子のことを覚えていてくれた。これから3年間、仲良くやっていけたらいいなと思う。
ありがたいといえばもう一人、担任の先生も。一応、通級指導教室に在籍していたことなどを話しておきたいと思い、帰る前に職員室に立ち寄ったところ、先生は受験の時に面接官だったらしく、息子のことを覚えていてくださった。もうそれだけで十分、あとは息子が真面目に頑張ってくれることを祈るのみだ。(2018.4)
vol.87「いつまで経っても自信を持てなくて」
伯母から息子の入学祝いをいただいたので、お礼の電話を掛けた。ちょうど3年前の中学入学時に、息子のことを「勉強できない子だから…」と言った私に、「勉強ばかりじゃなく、子どもが道を外さないようしっかり育てなさいね。」と言葉を返してくれた伯母。今回もまた同じようなことを言ってしまい、「そんな風に言わないの。しっかり頑張るだろうから。」と穏やかに諭された。
息子が高校に入学できたことはうれしいのだが、会う人会う人に「どこの高校?」と聞かれると、つい引け目を感じて「勉強できないから○○高校なの。」と答えてしまう。本当にこういうところが自分はダメだなぁと思う。
このように私は、息子のことになると自信を持てずにいるのだが、一方で息子は学校が楽しくて仕方がないようだ。勉強の方も、実習後のレポートを書くのは大変だが遅れずに提出しているとのこと。伯母の言う通り、しっかり頑張っている。少しは息子を信じて見守ってやらなくてはいけないと思う。(2018.5)
vol.88「周りの反応の変化も本人の自信につながる」
息子の生きてきた約15年の人生の中で、他人から頼りにされるということは、これまでに一度もなかった。それは彼自身も事あるごとに感じさせられてきたことで、中学の時に「○○委員をやりたい」と立候補したのに、生徒どころか先生にまで「心配だなぁ」と言われてやらせてもらえなかったことさえあった。勉強も、分からないところをいつも人に教えてもらうばかりだった。
ところが高校生になってからは違う。誰もやりたがらない係に立候補したところ、周囲から「お願いします!」と感謝されて驚いたそうだ。勉強は聞かれて教える側になった。5月半ばに少し帰りが遅い日があったので理由を尋ねたら、「製図をいろんな子に教えていた」と嬉しそうだった。
先日ようやく2月に受験した私立高校の面接の話をしてくれたのだが、面接官の先生に「まじめでいい子でやる気があるって書いておくよ」と言ってもらったそうだ。幼稚園の面接では「呼びかけに応じない」なんて言われた彼、こうも変わるものなのだと感心している。(2018.6)
vol.89「施設見学」
息子の通う工業高校では、年に何度か授業の一環として「施設見学」というものがある。工場見学や建築物の見学など、科ごとに違うのだが、生徒たちにとっては楽しみの一つでもある。
6月に初めての施設見学があり、息子たちは両国方面へ行くことになった。友人たちはスマートフォンという便利な物を持っているにもかかわらず、鉄道好きの息子に「一緒に連れてって」とお願いしたそうで、武蔵小杉に集合して横須賀線で現地の集合場所まで行くことに決まった。
しかし当日は南武線が少し遅れた上、小杉で新宿への行き方を外国人旅行者に尋ねられるという出来事があり息子が案内することになったため、友人たちに錦糸町での乗り換えを連絡して、息子は別ルートで両国へ向かうことになった。英会話は不得手だが、知っている英単語とジェスチャーで無事に旅行者を案内できたらしい。
両国では江戸東京博物館を見学し、その後移動して浅草寺へ。昼食後は水上バスに乗って川にかかる橋を見学し、浜離宮恩賜庭園で解散。色々あったが楽しい一日だったようだ。(2018.7)
vol.90「毒親」
「毒親」という言葉を最近よく耳にするようになった。毒親とは、子どもに対して悪影響をおよぼす親のこと。まさに私の親に当てはまる言葉だ。私も弟たちも幼い頃からずっと、親戚との揉めごとに巻き込まれたり、他人から「貧乏」と言われるような生活を強いられたりと、挙げるときりがないほど嫌な思いをさせられてきた。それでも両親は今も私たちにそんな思いをさせたとは思っていないし、困ったことがあると自分達で判断できず、当たり前のように頼ってくる。実家が遠く離れていることだけが救いだ。
本来、親は子どもに愛情を注ぎ大事に育てなくてはならないと思うが、私には「大事にされて育った」という実感が一つもない。そしてこのことが、私の生き方や子育てに様々な影響を及ぼしているのだ。
未だに「子どもを大事にするってこれでいいのだろうか?」と迷うことばかり。子育てはわからないことだらけである。(2018.8)