1982年の卒業旅行②エジプト
1982年学生ツアー2.カイロ・・・エジプト
離陸後、ジュース。雲でドーバー海峡見えず。アルプス見える。
17:00、夕食。眠さと疲れで気分悪し。顔色悪い。
やはり、僕は添乗員に向かなかったのか?(この前年、JTB日本交通公社に内定をもらっていたが、「不整脈」「高血圧」「肝機能異常」で内定を取り消されている)
カイロ時間22:00、カイロ国際空港着。空港の入口に兵士が機関銃を持って立っている。
前年、1981年10月6日、サダト大統領暗殺事件が起きたからではないか。
彫りの深いエジプト人、その視線が鋭く不気味だ。
バスにてカイロ市内へ。30分くらい。バザールの雑踏の中をバスは通る。人でごった返している。こんな場所は大好きだ。降りてみたい。
23:00、ホテル着。思っていたより、いい雰囲気のホテル。場所も街の真ん中に近い様だ。
街は車で溢れ、二重三重駐車は当たり前、趣味の様にクラクションを鳴らすものだから騒がしい。
カイロでクラクションが鳴らされる理由。それはどの車も信号があっても守らず交差点に進入して来て慢性的な渋滞をひき起こしているからである。二重三重の違法駐車もその渋滞に拍車をかけている。
フランス映画「死刑台のエレベーター」に出てくる、内側のドアの無い金属が網目状になったホテルのエレベーター。
三人がスーツケースを持って乗ると、一階と二階のちょうど真ん中で止まってしまい、ボーイが焦る。
一階に降りて階段で二階へ。ボーイは黒人が多い。
二階の客室前廊下には黒人のベルガールが並んで座っていた。この人たちはチップのみで生活している様だ。
エジプトはイギリスの植民地だったのだ。生田と二人のツインルーム。風呂に入り、洗濯。水が濁っていて、シャツやパンツが赤くなる。
生田が大阪空港で友達にもらったウィスキー、スーツケースの中で割れている。えらい災難や。1:00就寝。
1982.2.22
7:30、起床。
8:15、朝食。パン、コーヒー等、アメリカン・ブレックファースト。
9:00、バスでピラミッドへ。ピラミッドは思っていた通りで、さして感動せず。
中は狭く、湿気ていて、閉所恐怖症だったら、耐えられない。カメラのストロボの調子、悪し。ラクダを写すと1ドル取られる。
小野がラクダに乗って(乗せられて)、10ポンド(3000円)ぼられる。いち早く、ツアーの人気者に。
ピラミッドのよく見える所へ行って写真を撮っていると、ラクダに乗っておじさん達が追いかけて来る。ああ、怖! 絵はがきを売っている少年たちもいる。
ここは地球的にも屈指の観光地なのである。
スフィンクスへ。スフィンクスは思っていたより小さい。
11:40、パピルス・ギャラリーへ。無料のコーラが出て来る。
これは「コーラを御馳走になったのだから、少しは買い物をしないと」という日本人の気質に訴える作戦で、のちにインドに行った時にもこの作戦に出会った。
パピルスの作り方を見学。あまり、興味無し。
13:00、エジプト博物館着。外観は薄オレンジ色で立派。博物館前で女の子のグループが僕を見て声を挙げる。エジプトではモテるんちゃうか?
ミイラを見たかったのだが、エジプトのミイラはイギルスに運ばれ、大英博物館で展示されているらしい。
ちなみにツタンカーメンの像は日本で見ている。この時、エジプト博物館には無かった。貸し出しているらしい。
それほど感銘を受けぬまま、14:05、エジプト博物館発。ホテルに帰り、昼食へ。大学の友達4人で一緒に行動。
割と小ぎれいなレストランを見つけ、入る。ランチは2.25ポンド。ビールとコーラを入れて、4.5ポンド。パン、ひき肉入りピラフ、チキン、サラダ、プリン。
小野が寒いから服を取りに行くと言い、ホテルへ。ピラフ食べられず。ホテルに帰る途中でサノらに遭ったとの事。彼らはもっと安く食事をしたそうだ。僕としてもそうしたかったのだが・・・。
食後、カイロ・タワーへ。
繁華街は日本と変わらぬ佇まい。ナイル川を渡って、カイロ・タワーへは徒歩で30分。
道路を横断するのが怖い。車も人も信号を全然守らない。しかも車は猛スピードで走っている。
カイロ・タワー到着。入場料50ピアストロ。
少し待たされて、エレベーターに乗り、タワーの展望台へ。
上に上がるとエジプトの若者たちに取り囲まれる。
ペンパルになろうと住所を交換する。僕の名前をアラビア語で紙に書いてくれた。タバコCabin、あげる。
タワーの上、風強し。カイロの街が砂で煙っている。エジプト人は大人びてみえる。向こうもそれを感じたらしい。
カイロ・タワーからの帰り、コーラを飲んで、パンを買い、ホテルへ。パン固し。食欲無く、これは昼食の食い過ぎ。
バーにてダブルのハイボール5.35ポンド。非常に高い。飲み終わってロビーに戻ると、同じツアーの連中がいて、一時間近く話し込む。
部屋に戻り、シャワーを浴びて、絵はがきを書き、就寝。前日に引き続き、生田と同室。天井の高い部屋。
1982.2.23
7:30、起床。
8:15朝食。オレンジジュースはエクストラチャージで飲めず。
9:00、バスにてメンフィスへ。ナイル川の西岸を南下。
車窓からレンガ工場が見える。泥のナイル川で洗濯している人有り。
メンフィス近くでは道が泥沼化し、前のバスが道から落っこちている。僕たちのバスも危ういところだった。
今日から、僕は同じ大学4人が別々に、或いは、同じ大学じゃない奴と歩きたいとの考えから、以外の人と歩く様にする。生田は今まで通り4人組で歩きたい様だが。
10:00、メンフィス着。ラムセス二世の像(石灰岩)有り。スフィンクスも有る。
僕が写真を撮ろうとすると、アラレが来て僕と肩を組もうとする。肩を抱いてハイ、ポーズ。ああ、えーえ目したわ。アラレの目、きれいやなぁ。
10:40、メンフィス発。緑の中を通って、水車なんか見たりして、11:00、サッカラ着。
階段ピラミッド、神殿有り。涼しい。大臣の墓有り。写真を撮ろうとすると何故か止められた。墓の写真はNGなのだろうか?
13:00、昼食。エジプトのパンみたいなもの、オレンジジュース50P、焼き鳥、ライス。
W.C.へ行って用を足すと、少年がタオルを持って来たので、それで拭く。チップが必要だったのか? 後で後悔する。
自分たちが乗っているバスのタイヤが坊主になっている。ビックリ。
道を悠然と歩くヤギに紙をやるとバクバク食べる。
渋谷(中央大学で住友銀行内定)、100円ライターで買い物しようとする。
この頃は、日本でしか手に入らないものを持って行くと、結構な品と物々交換ができた。
14:00、レストラン発。バザール、モスクへ寄り、16:00、ホテル着。
16:50、ホテルから郵便局へ。郵便局は汚い場外馬券売り場の様だった。
そこでお釣りとしてもらった紙幣は金額も読めないゴミとしか言えないもの。
みんなと一緒に歩くのは機動力に欠けるので、植出と一緒に別行動。
文房具店で、植出は日程表をコピーし、僕はメモ(20P)を買う。
デパートに立ち寄ったり、コーラを飲んだり、映画館を覗いたり(「ナイトホークス」「砂漠のライオン」「征服王」をやっていた)して、ラムセス中央駅へ。
駅の近くでエジプトの兵士に日本語で声をかけられ、「えらいなぁー」と思って、「You are diligent(あなたは勤勉ですね)」というべきところを「You are dangerous(あなたは危険ですね)」と言ってしまった。焦ったぁ。向こうは分からなかった様だ。
駅には改札口は無く、誰でも入れる。構内の線路上を歩いている人もいるし、車内ではたくさんの人が網棚に座っている。
僕はこれから回る都市の「駅」を訪れて、いちばん安い切符を買う事にしたのである。
切符を手に入れる為、散々歩き回るが英語が通じず苦戦を強いられる。どうも何種類もの切符があるらしい。
1時間近く駅構内をウロウロ。ついに買う事ができず、駅の入口にあった使用済み切符入れから1枚失敬する。
駅を出たのが、19:00。土砂降りの雨。幸いな事に「晴れ男」の力を存分に発揮したせいなのか、雨はすぐ止む。
道端でホットドッグ(にんにくの様な強い匂いのするソーセージとニンジンをパンではさんだもの)15Pを食べ、映画館の前の食堂へ。
ビールを飲み、オイルサーディンと何か訳の分からないぶよぶよしたもの、キュウリ。二人で6.9ポンド。もうこれでエジプトのお金はコイン以外無い。余っても、他国の通貨とは交換してくれないから、助かった。
2日間で20ドル。安い。20:00、ホテル着。部屋でパンを食う。22:00、入浴。
※エジプト・カイロで食べたホットドッグは文字通り「犬の腸」。ぶよぶよしたものは「牛の脳みそ」との事。ああ、気持ち悪い~~。添乗員の深沢さん情報。
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