プロデューサーのストレスい解消法
ドラマのプロデューサーをやっている時のストレス発散方法。
「編集」や「MA(音楽等を入れる作業)」の待ち時間によく新宿歌舞伎町のサウナ「グリーンプラザ」に通った。
吉本興業会長・大崎洋さんの著書「居場所。」にも、毎日放送「4時ですよーだ」の合間を縫って、「お気に入りのサウナ」でストレスを晴らすシーンが出て来る。
「脚本打ち合わせ」「キャスティング」「撮影現場立ち会い」「編集などの撮影後の作業」、いろんなところにプロデューサーは顔を出さなければいけない。
そんな作業の合間に数時間の空きが出来る。新企画作成のアイデアの参考の為に、映画館で映画を観る事もあった。
当時、ウチの局は京王堀之内駅そばに「多摩スタジオ」を持っており、収録が早く終わった日はスタッフとスタジオからすぐの「韓国焼肉屋」へ行って、煽る様にマッコリを飲んでいた。
都心での仕事が終わると、1人で「新宿ゴールデン街」の馴染みのバーに行き、店長と2人で喋りながら、午前様になるまでお酒を飲んだ。
この習慣は「番組宣伝」の仕事に異動してからも抜けず、日々お酒に明け暮れていた。今思うと、アルコール依存症寸前まで行っていたのかも知れない。
買い物依存症にも陥りAmazonから毎日いろんなモノが届く様になっていた。
お酒・買い物以外では、ドラマの仕事が終わると長めの休暇をもらって、海外に旅に出た。若い時に日本から最も遠い、地球の反対側に行ってやろうと思って、南米・アフリカ・インドなどを周った。
2015年11月、積年の疲れが溜まったのか、大病で倒れ、断酒し、睡眠時間も十分取って、規則正しい生活を送るべく努力し始めた。
その甲斐もあって、ドラマのプロデューサーをやっていた時、最大99キロまで行っていた体重も今では78キロ。カラダも軽く、体調も良い。
あのまま、アルコールに依存する生活を送っていたら、今頃どんな風になっていたか?
考えるだけでも怖しい。
「ドラマの制作」「ドラマの宣伝」、普通の人より「かなり精神的に強い人」で無いと務まらないと思う。
「辛かったドラマの現場」、それは「ある意味での『戦争』」だったのかも。
当時のスタッフと久しぶりに会って話をしていると、「同じ釜の飯を食った仲間」として、何時間でも話が弾む。
これが「ドラマ作り」を止められない本当の理由かも知れない。