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山田太一さんの「考え方」

昨年11月末、脚本家・山田太一さんが亡くなられてから、山田さんが書かれた「シナリオ」「小説」「エッセイ」を立て続けに読んでいる。

中でも、今読んでいるエッセイ集「路上のボールペン」は、山田太一さんの考え方と自分自身の考え方が共鳴して、本当に心地良い。

中学や高校の「国語」や「倫理」の教科書代わりにこの本を生徒みんなに配って、読んでもらった方が、今の日本人の考え方かわ変わるのでは無いかと思われてしょうがない。

どれだけ、相手に「想像力」を持って、相対せるか?

この本は多くの人々にその事を教えてくれる。

「テレビ」という媒体に長年携わって、家族を養い、生きて来た僕だが、「想像力」を「人」に付けるのは「本」だと思う。「新聞」を含めての「読み物」と言ってもいいかも知れない。

「テレビ」は基本、制作者が噛み砕いた「離乳食」の様なもの。

「本」は「食べ物」だ。

昨年春、亡くなられた上岡龍太郎さんも「テレビ」を観るヒマがあったら、「本」を読みなさい、と常々言われていた。

今夜、NHK「プロフェッショナルの流儀」で「名探偵コナン」の作者・青山剛昌先生の密着ドキュメントを放送していたが、「名探偵コナン」は、青山剛昌先生が子供の頃読まれた「名探偵シャーロック・ホームズ」に発送の原点があると、御本人も語られていた。

僕の家は「本」で溢れかえっている。いつ崩れてもおかしくない。いや、何度も雪崩の様に崩れている。

もはや、本棚に収まりきらない量になっている。

父方の祖父も、父も本好き。実家にも本がいっぱいあった。

父が買い集めていた「カッパノベルス」の松本清張シリーズ。その中から中学生の頃、「Dの複合」をこっそり読んで、大人になった気分を感じたものだ。

幸いな事(笑)に、ウチの家は8回引っ越している。僕は3つの違う小学校に通った。

典型的ないじめられっ子の「転校生」だった。

友だちは「誕生日会」に招待してくれる優しい女の子たちと「本」。

山田太一さんの話からかなり脱線したが、山田さんの今読んでいるエッセイ集は僕に、「気恥ずかしさを忘れない事の大切さ」「威張らず、物事を断定して考えない事」「曖昧な人格がいちばん面白い事」を見事に教えてくれた。

今、僕は山田さんの絶版になっている「小説」や「エッセイ」をAmazonで探し求めては買い漁っている。

あんなに「古本」を絶対読まない人だったのに。

山田太一さんの「本」だけは、ページを捲るのがもどかしくもあり、もう読み進んでしまったかと勿体無い気もする。

それほど、「宝石」の様な文章なのである。

長年、山田太一さんのドラマを見続けて来た理由も氷解しつつある。

「山田太一」は僕にとって、「生きる哲学」なのである。


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