Nj(西田二郎)カーニバル
10本の「動画」は先週7/26(金)南青山のライブハウス「MANDARA」で開催された「Nj(西田二郎)カーニバル」の模様を捉えたもの。9/1まで視聴可能なのでぜひ観てね‼️
西田二郎は僕の後輩だ。
彼の入社した1989年夏、「高校生クイズ 近畿大会」で初めて一緒に仕事をした。
土砂降りの後の「奈良・若草山」。
彼は「AD」として、何度も泥でぬかるむ「若草山」の急坂を登り降りしていた。
僕は「決勝会場」の唐招提寺のディレクターだったので、涼しい顔でその様子を見ていた。
時が経ち、「朝の連続ドラマ」をやっていた僕が「EXテレビosaka」に異動になった。
そこで、僕は西田二郎に再会したのである。
同期入社のUプロデューサーに、イジメ倒される僕にとって、西田二郎は救世主。
「棺桶」に出演者が入って、「死」についてトークする「棺桶トーク」で、僕は当初、棺桶を「扇状」に並べていた。
その「青図(セットのデザイン図)」をたまたま通りがかった西田二郎が覗き込んで、こう言った。
「棺桶、平行にして5つ並べた方が『画的』にええと思いますよー」
僕は彼の意見の方が圧倒的に良いと思い、美術デザイナーに再度打ち合わせに行き、訂正。
やはり、「本番」をやってみたら、西田の言う通り、「平行」にした方が圧倒的に良かった。
そして、二人とも「東京支社」に異動。
西田二郎は「ダウンタウンDX」のディレクター・プロデューサー・総合演出をやっており、僕の方はと言うと、ドラマのプロデューサーをやっていた。
今から20年ほど前、僕は「東京制作部」から「東京宣伝部」に異動。
やがて、「ダウンタウンDX」放送開始20周年の時、西田二郎が「総合演出」、僕が「番組宣伝」という立場で、「めちゃくちゃ楽しい大学祭みたいなイベント」にしてしまった。
今、彼は僕の向かいのデスクに座っている。
会社には1週間に一度来るか来ないかだが、来たら二人で「フリートークセッション」‼️
まるで、「会話のJAZZ」の様に。
かつて、「ダウンタウンDX」の収録が「TMC(東京メディアシティ)」で終わった後、西田二郎とプロデューサーの勝田恒次と僕はタクシーで1000円ほどの距離にある「庶民的で美味しすぎるお好み焼き屋」の「畳敷きの上り框」にだらっと座り込み、延々と取り留めのない話をした。何時間も。
実は「物作り」にはこういう「時間」が必要で大切なのだ。
そこから、いろんな事が生まれた。
「番組を作るという事」は「儲ける事(常に黒字にする事)」を目標にしてはいけない。
「クリエイターが面白がって、番組を作る事」で、たくさんの視聴者が観て、それが結果的に「儲かる事」に繋がるのだから。
こんな簡単な事に気付かない人たちが、「今のテレビ界」に何故こんなに多いのか❓
彼らは「クリエイター」ではなく、単なる「テレビ商人」なのである。
だから、だから、僕は西田二郎が大好き‼️