緒形拳さん
僕の東京でのドラマプロデューサーデビュー作は、連続ドラマ「八月のラブソング」。
「ニューヨーク恋物語」「29歳のクリスマス」「さよなら李香蘭」「金(きむ)の戦争」等をプロデュースされた敬愛するプロデューサーの中山和記さんとのお仕事だった。とてもラッキーだ。
主演は葉月里緒奈さん。そして、あの緒形拳さんにも御出演頂いた。
緒形拳さんのお芝居はスタジオのモニターで見ていても、緒形さんにしか表現出来ない「リズム感」があって素晴らしく、僕はそんな贅沢なドラマ漬けの日々を過ごしていた。
ある日、緒形拳さん御自身が「ベンツのゲレンデバーゲン」を運転して、スタジオ入りされた。
いつもは事務所の女社長が運転し、緒形拳さんは助手席に乗って来られるのに。
僕とAPの田中壽一はスタジオの駐車場で早めから緒形拳さんをお待ちしていた。
駐車場に到着し、緒形拳さんが車をバックさせる。僕らもその様子を注意深く見ていたのだが・・・
「ゴツン!」
という大きな音を立てて、「ゲレンデバーゲン」が駐車場の柱にぶつかったのだ。僕らがもう少し、車の後ろ側に回っていれば良かったのだが。
緒形拳さんが車から降りて来られた。何も無かったかの様に。
緒形さん、僕、田中、3人がスタジオフロアまでエレベーターに乗る。狭い空間だ。
沈黙。お互い、少し目を背けている。緒形拳さんは薄っすらと笑っている様に見えた。
車をぶつけた「テレ隠し」かも知れない。
3人とも、一言も発せず、エレベーターはスタジオ階に着き、緒形拳さんは控室に入られた。
3ヶ月のドラマの収録が終わった。打ち上げだ。
中山和記さんは司会に回り、新米プロデューサーの僕が「打ち上げパーティー」の最初の挨拶をする事になった。
葉月里緒奈さんはまだ到着しておらず、壇上に上がった僕の目の前には緒形拳さんがいた。
異常に緊張した。
緒形さんを笑わせなければならないと「関西人」の僕の心が騒いだ。
緒形拳さんはドラマの中で、有名中華料理店の名シェフ役。
そこで、僕はこう切り出した。
「昨日、大量の『もやし』がスタッフルームに届いたんです。驚きました。それも仙台の『もやし業者』の方から」
緒形拳さんの表情は変わらない。
「実は、緒形拳さんがドラマの中で調理されるシーンの画面の端にその『もやし業者』の箱が映っていて、感謝の意味で大量の『もやし』を送ってくれたんだそうです。今、この大量の『もやし』をどうしようか、とっても困っているんですね」
緒形拳さんの顔が崩れた。思いっきり笑ってくれたのだ。
会場にいたスタッフもそれにつられて笑ってくれた。
僕は素直に嬉しかった。
緒形拳さんとお会いする時々で、すごく緊張していたけれど、やっと笑ってもらう事が出来た。
「関西人」に生まれて良かったと思った瞬間だった。
緒形拳さんの、その優しく温かい笑顔は一生忘れられない。