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「タバコ」と「オールド」

「人類」はいつから「タバコ」を吸い始めたのだろう❓

子供の頃、新聞記者だった父は常に多忙だったが、たまに早く帰って来ると、白いパッチ姿になり、もちろん「エアコン」とか無い時代だから、夏は「扇風機」を付け、長男の僕を膝の上に乗っけて、瓶ビールを飲んだ。

キリンラガービール



もちろん、「キリンラガービール」。

長嶋茂雄選手
巨人戦中継



「巨人戦」の中継を観ながら、冷奴を食べて、「ハイライト」を吸う。

ちなみに「ハイライト」の「パッケージデザイン」をしたのはイラストレーターの「和田誠」だった。

ハイライト



だから、「父の膝の上に抱かれた記憶」には「タバコの匂い」が重なる。

セブンスター
マイルドセブン(右)



父はその後、「ハイライト」から、「ニコチン」も「タール」も少ない「セブンスター」、そして「マイルドセブン」に変えていった。

やがて、「禁煙」。

キャビンマイルド



僕はといえば、大学に入って、お酒を飲む時とかに衝動的にタバコが吸いたくなり、当時まだ「神戸限定販売」だった「キャビンマイルド」をたまに吸っていた。

「タバコ」を吸う姿がカッコいいと思ってしまっていた。

青函連絡船



北海道に渡る「青函連絡船」のデッキでも、初めて見る北海道の大地を望みながら、「キャビンマイルド」を吸ったものだ。

よみうりテレビ・入社時の社屋



1983年、テレビ局に入り、「制作部」に配属された。

当時の「制作部」は「テレビ黎明期」の「野武士の様なディレクターやプロデューサー」がゴロゴロいて、そのほとんどが「タバコ」を吸いまくっていた。

「制作部」はいつも、煙でモウモウ。

灰皿(イメージ)
灰皿(イメージ)



「制作部」のデスクの灰皿はどこも「吸い殻」が山の様に積み重なっていた。

もちろん、「禁煙スペース」とかは無くて、「AD」の僕は狭い編集室で、「タバコ」を吸いまくる先輩ディレクターの真横に座り、連日徹夜で仕事していた。

「昭和」、当時は「飛行機」でも「鉄道」でもどこでも「タバコ」が吸えた。

その先輩たちが最近、「肺がん」で亡くなるという知らせも多い。

「タバコ」が原因の1つかも知れない。

そして、1983年のあの時代、まだ競争力の弱かった「国産ウィスキー」は「政府の方針」で守られ、輸入物の「スコッチウィスキー」には「高い関税」がかけられ、庶民には高価過ぎて、手が届かなかった。

サントリーオールド



だから、飲むと「悪酔い」する「醸造用アルコール」の入った「サントリーオールド」を飲むしか無かったのだ。

ジョニ黒(通称)
ジョニー赤(通称)



「ジョニ黒」が1本一万円、「ジョニ赤」が五千円の時代。

水割り(イメージ)
ボトルキープ(イメージ)
ボトルキープ(イメージ)



「水割り」という「飲み方」を作ったのも、「ボトルキープ」という「システム」を構築したのも、「サントリー」である。

儲かる訳だ。

だから、「バー」や「ラウンジ」に行って、「サントリーオールド」を「ボトルキープ」して飲む。

そうすれば、「ボトル」があるから、客は何度もその店に通う事になる。すごい事を考えたものだ。

これは「発明」だ。

「サントリーオールド」を飲みながら、「タバコ」を吸い、店の「カラオケ」を「店のお客さん全員」の前で歌う。

カラオケラウンジ
カラオケラウンジ
カラオケ歌詞本
カラオケ歌詞本



「カラオケボックス」など無かった。

「歌詞」も「モニター」に出るのでは無く、「歌詞が載っている分厚い本」を専用の台の上に広げて、それを見ながら歌った。

もちろん、「通信制」では無く、「歌える曲」は限られていた。

でも、「タバコ」にせよ、「サントリーオールド」にせよ、「不自由なカラオケ」にせよ、「不完全」で「不健康」だから良かったのだと思う。

「昭和」という「時代」は。
「人間」臭かった。

今は「クリーン」「クリア」にしようとしている「世の中」。

「タバコ」の様な「マイナス要素」がある「嗜好品」があってもイイのではないかと思う。

僕は。

「社会」には「陰」や「遊び」や「飢餓感」が必要だ。

その事を忘れてはならない。

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