市原悦子さん・中村玉緒さん・南田洋子さん
「今村、市原悦子さんのナレーション録りに行って来て!」
ある日、「シュンちゃん」こと、プロデューサーの岡本俊次さんに言われた。
「朝の連続ドラマ」の第1作「花いちばん」(1986年4月〜10月)の時の事である。
麹町にあった日本テレビの「アナブース」を押さえ、緊張しながら東京へ向かった。
市原悦子さんを日本テレビ前で丁重に迎え、「アナブース」に御案内する。
「飲み物」や「のど飴」の用意も怠り無い。
まずはテスト。あの心に沁み渡る「市原節のナレーション」がスピーカーから聞こえて来る。
「今村さん、どう?これで良いかしら?」
市原悦子さんからの問いかけ。僕に訊いている様だ。
「とても良いです。次、本番行かせて下さい!」
ドキドキしながら、そうマイクで返す。
この繰り返し。「朝の連続ドラマ」のナレーションは何冊分もまとめて録る。
NHKの「朝の連続テレビ小説」の場合、「ナレーション録り」の時には、「ドラマの映像」が完成していて、それを見ながら、「ナレーション」を録るが、うちの場合は「映像の完成が放送ギリギリ」なので、「ナレーション録り」の時には「ドラマの映像」は無い。
つまり、台本だけを読んで、それを解釈して、「ナレーション」を読むのである。
さらに、岡本プロデューサーからの要請で、まだ台本が出来ていないシーンのナレーションも市原さんに1ページに印刷された「台本の一部分」を渡して、前後の状況を説明し、録った。
「家政婦が見た」やアニメ「まんが日本昔ばなし」など、日本を代表する大女優・市原悦子さん。
彼女がAPの僕に「自分のナレーションがどうだったか?」をテストが終わる毎に訊かれるのだ。
それはある意味、凄く緊張する時間でもあり、凄く至福の時間でもあった。
中村玉緒さん。大映京都の大女優である。
当時、「朝ドラ」の収録スタジオは、大阪の千里中央にあった。
東京から来られる俳優さんのほとんどは新大阪まで新幹線で来て、そこからタクシーでスタジオ入りされる。
ところが、中村玉緒さんは付き人と二人で、毎回新大阪から地下鉄で来られるのである。
僕は中村玉緒さんに言った。
「新大阪駅からタクシーでお越し下さい。精算しますから」と。
中村玉緒さんは言う。
「地下鉄の方が時間読めまっしゃろ!だから、地下鉄の方がええのですわ」
僕はその言葉を聞いてえらく感心したものだ。
「朝ドラ」のロケで、和歌山県南部(みなべ)町に行く機会があった。
このロケには中村玉緒さん、南田洋子さん、大村崑さん他が参加された。
今から40年近く前、南部町には、100人あまりのキャスト・スタッフが泊まれる宿泊施設が「国民宿舎」しか無かった。
ここで一つ、問題が起こった。
誰でも入れる「大浴場」はあるのだが、「お風呂が部屋に付いている個室」が一つしか無かったのである。
プロデューサーの岡本俊次さんに相談する。
「お風呂付きの部屋は誰にも使わせちゃダメよ!」
そう、スタッフはともかく、キャストの皆さんは平等にしなければならない。そうしたプロデューサー的配慮だった。
三月とは言え、和歌山県は南国。かなり蒸し暑い。
その気候の中で、早朝から夜まで過酷なロケが連日続く。
時代設定が「太平洋戦争前」という事で、田んぼの真ん中など、土まみれのロケだ。
大村崑さんは御本人からの申し出で、紀伊田辺市の「風呂付きのビジネスホテル」に移って行かれた。
中村玉緒さんは「大浴場」に入られた。
日活の大女優で、川島雄三監督の「幕末太陽傳」にも出られた南田洋子さんは毎日、濡れタオルで身体を拭き、「大浴場」に行かれる事は無かった。
どちらも、後でお付きの人から聞いた話だ。
二人の対照的な大女優。そこに、僕は「女優魂」を見せられた気がした。
昭和を生き抜いて来た俳優さんたちの素顔を垣間見る事が出来た僕は本当に幸せ者だったに違いない。
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