渡辺文雄さんとの映画の話
俳優の渡辺文雄さん(1929年〜2004年)。
僕が旅番組「遠くへ行きたい」のプロデューサーをやっている時、知り合った。
当時、「遠くへ行きたい」のロケは3泊4日で行われていた。
渡辺文雄さんが「旅人」の時、長崎県対馬のロケ地に、高めのウィスキーを持って、陣中訪問した事もある。
対馬空港付近では、常に強風が吹き荒れ、福岡空港を離陸した時、機内アナウンスで、
「対馬空港付近は風が強い為、3回着陸にトライして、着陸出来なければ、ここ福岡空港へ引き返します事を御了承下さい」
と言われたが、なんとか3回目で機体を風で煽られながらも、着陸に成功した。
「遠くへ行きたい」のロケのコンセプトは、「旅人」と「スタッフ」が飲食を共にして、全員で「旅」する事。
対馬のロケでも、撮影が終わった夜、渡辺文雄さんを囲んで、地元の居酒屋で酒を酌み交わしながら、話はいつまでも尽きない。
ロケから帰って来て、編集が終わったら、赤坂のスタジオで「ナレーション録音」を「旅人」に来てもらい、毎週収録する。
そして、僕の楽しみは渡辺文雄さんの「ナレーション録音」が終わった後にある。
ディレクターのテレビマンユニオン・大貫昇さん始め、スタッフ有志が渡辺文雄さんと共に、ここでも酒を酌み交わすのだ。
場所は旧TBS会館の斜め向かいにあった大衆居酒屋「正駒」。
エアコンがよく効いた店内に入り、温かいおしぼりで顔を丹念に拭くと、まずはビール🍺
そこから、延々とテーマ無しの飲み会が始まるのである。
僕は何故か、必ずと言っていいほど、渡辺文雄さんの側に座り、「映画の話」に花を咲かせた。
5時間も6時間も・・・それは僕にとって、至福の刻。
渡辺文雄さんはかつて、映画会社が結んだ「五社協定」には入っておらず、「東映」「東宝」「松竹」「日活」「大映」、どこの映画会社の映画にも出演できた。
そこでの撮影現場の話。オススメの映画の話。様々な映画の話をした。
いちばん印象に残っているのは、木下惠介監督「笛吹川」に出た時の話。
灼熱の夏のロケ。ロケバスは木下恵介監督の指示で、川の土手の下で止まる。
しかし、監督はカメラをなかなか回さない。
数時間が過ぎ、主演の高峰秀子も着物の前をはだけて、団扇であおいでいるはどの暑さ。夏の草の匂いがムンムンする。
日が傾きかけた頃、木下恵介監督が高峰秀子に向かって叫んだ。
「土手に登れ‼️左に全力疾走‼️はい‼️止まって、右を見て、泣いて‼️」
渡辺文雄さんも何が起きているのか、分からなかったそうである。
でも、このシーンが「笛吹川」でいちばん泣けるシーンになったとの事。
また、佐藤純彌監督の「新幹線大爆破」の話。
佐藤純彌監督は、映画のアタマでは張り切って、撮影しているが、そのエネルギーが最後までなかなか続かないのが「欠点」だと渡辺文雄さんは言う。
でも、「新幹線大爆破」は違った。奇跡的な一本。
そして、深作欣二監督の話。渡辺文雄さんオススメの映画は、「県警対組織暴力」だという。
たくさんの映画の話をした。渡辺文雄さんとは。
その後、僕は「プロデューサー」を辞めてからも、「番組宣伝」の立場で「遠くへ行きたい」に関わり続けた。
2004年、渡辺文雄さんは逝った。
通夜・告別式と、僕は手伝いに行った。
青山葬儀場。
渡辺文雄さんの出棺。
霊柩車のフォーンが鳴る。
僕は滂沱の涙を流し続けていた。
僕の肩を優しく抱いてくれたのが、よみうりテレビの社長にもなった越智常雄さん。
越智さんは僕の顔を見て、優しく頷いてくれた。
それでも僕は涙を流し続けた。