「闇」の大切さ
日本には、真っ暗な「闇」があった。その「闇」には「魔物」が棲むと人々は恐れた。「夜」は寝静まる刻だった。
そんな「日本の夜」に明るい光を当て、「闇」を奪ったのが、「コンビニ」である。24時間、必要なモノは大概揃う、今の世の中、無くてはならない便利なお店かもしれない。
そんな「コンビニ」が無かった時代、「不便」が存在感を持っていた。
夏の灼熱の暑さ、仕事をしていても部活をしていても、冷たい飲み物を手に入れるには、何がしかの「努力」が必要だった。
そして、「努力」の末に得られたものは、何物にも変えがたい大切なものだった。
夜中に何か欲しいものが出て来た場合、「コンビニ」出現前は次の日に買い物に行くしかなかった。夜中に酒が切れても買い足しに行けなかったのである。その時点で、欲望は抑えなくてはいけなかった。
「闇」を切り裂くのは、車のヘッドライト。エンジン音が止まると、静寂。ヘッドライトが消えて、車内灯が点く。それも消え、家の灯りが灯るのである。「コンビニ」の無い時代、岡山の実家に帰った時の遠い記憶。
「宅急便」が無かった時代、人々は、「小荷物」という形で荷物を郵便局に持ち込み、送っていた。もちろん、その荷物は次の日に届く保証など、何も無かった。
amazonが無い時代、本当に欲しい本を求めて、何軒も何軒も人は本屋をハシゴした。当然、探し当てた本は、その人にとって、かけがえのないものになった。
「不便」を楽しむのも良いだろう。自分の気が済むまで、買うのを吟味し、本当に必要な物だけを買う事が出来るから。そして、何かを手に入れる為、エネルギーを使い、努力する過程が楽しいからである。