「スマホ」に侵略された「日本人」
「街をスマホを見ながら歩いている人」は多い。
ニュースでは、「電車の運転手が運転中にスマホを見て問題」になったり、「トラックの運転手が運転中にスマホを見ながら走っていて、事故を起こした」り、している事が多々報じられている。
また、飲み会をしながらも、それぞれの参加者がスマホを見ていたり、電車の中でスマホを見ている人は数え切れない。
こんな「国」は世界中見渡しても、「日本」以外には無いと断言してもいいだろう。
「特定の宗教」の無い日本、「経済成長」が「社会の目標」と未だになっている日本。
かつて「喜怒哀楽」をはっきりと表現していた「日本人」はその表情を隠す様になった。
かなり前の話ではあるが、僕は「高校生クイズ近畿大会」のディレクターを1992年〜1994年の3年間、担当した。
30時間以上回ったVTRを編集して、1時間〜1時間半の番組にするのだが、その編集作業に2週間以上かかる。
参加してくれた「高校生の瑞々しい、喜怒哀楽の表情」を1つでも多く使いたいから。
編集しながら、僕が感じていたのは、「高校生の喜怒哀楽」が年々薄れていく事。
特に「男子」。
当時、「インターネット」も「スマホ」も無かったから、「高校生クイズ」に参加するのがお祭りイベントだったのだ、高校生にとって。
だから、「近畿大会」だけで、参加者は一万人を軽く超えた。
それがそれが、「インターネット」の登場、「スマホ」の登場で「日本人」は「スマホ」に没入する様になってしまった。
元々、「日本人」は器用で、「日本のアニメーション」を創った様に、「スマホ」という「機械」と相性が良かったに違いない。
だから、今の日本。
「スマホ」に「人格」を奪われてしまっている「日本人」。
「スマホ」に「感情」を奪われてしまっている「日本人」。
「日本の文化」「日本特有の風景」「日本の歴史」、「日本人」は地球上どこにも無い、本当に貴重な財産に囲まれているのに、「スマホ」にうつつを抜かしている。
「昭和35年生まれ」の僕は「スマホ」が、「日本という国」から無くなって欲しいとまで思っている。
もちろん、「インターネット」も消え去って欲しい。
この2つは「日本人」から「五感」を奪ったと思っている。
「生き物」である「人間」は「五感」を大切にしないと生きていけないと思うのだが。
「フルマラソンを走り切った直後にゴクゴク飲む水の美味しさ」
「好きな彼女とのファーストキスのくちびるの感触」
「夕餉の前に家の中に漂うご飯を炊く匂い」
そういう僕もこの文章を「スマホ」にダウンロードした「note」というアプリで、セコセコと書いている。
全くもって、笑うしかない。(笑)
猛暑日が続く「日本列島」。各地で「熱中症」で倒れる人も続出している。
でも、倒れた瞬間、その人たちはこう言うのだろう。
「私のスマホはどこ❓」
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