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毛蟹と 子供の  僕




母の実家は魚屋さん、だった。
魚屋さんと言っても、今の個人経営の、小規模スーパーみたいな感じ、だったのだと、思う。


魚以外の商品も、バラエティ、だった。
山の田舎だから、暮らしてるひとたちの要望も、いろいろあったのだと、思う。
とにかく、生きるのには、いろいろ、必要、だから、だ。




スーパーとカッコつけてみたけれど、当時、母の実家の店には、レジスターが無かったように、思う。


昔の映画などでよく見る、カゴのザルがレジだった、のだ。


そんな時代、で、ある。



僕のじいちゃんは、毎朝四時に、ばあちゃんに起こしてもらい、それから車を運転して、気仙沼へ仕入れに行っていた。そして、気仙沼で、さまざまな海産物を仕入れる中に、北海道の毛蟹が、よくあったのだ。




いまいま聞く話だと、北海道で獲れた毛蟹で、形の悪いものなどは、けっこう、気仙沼に送られてきた、みたいだ。


じいちゃんは、仕入れてきた毛蟹を、母の実家の台所の、ガスコンロに巨大な鍋を乗せて、お湯を沸かし、茹でて、あがったら、お店に出して、お客さんに売っていた。


子供の僕は、この一連の流れの中で、台所の隣の茶の間で、夕方のどろろんえんま君、か、仮面ライダーの、本郷猛、かを、観ているのが常、だった。

そうしていると、じいちゃんが茹で上がった、毛蟹を、ほれっ、と、言って、僕の前に、置くの、だった。


僕に、食え、と、いうこと、だ。


聞いたこと、は、無い、が。そう、だと、思う。確信、だ。



爺孫、の、以心伝心。


爺孫、だから、できる、この世の奇跡、だ。


俺の、じいちゃん、は、


決して、食え、とは、言わない。からな。


この、爺孫の景色、は、日常の景色で、特別な景色ではないから、僕は、いつものように毛蟹の味噌だけを舐めて、残りは、煉炭炬燵のテーブルの上に、ほったらかすのだった。

そうしていると、仕事の空きをみて休憩にくる、母やばあちゃんなんかの、当時、僕が思っていた、大人の僕たち、が、毛蟹の殻を剥いて、身の方を、食べるの、だ。




僕だけが、いい、時代、だった。

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