見出し画像

878+1回の表彰式  Tokyo2020

  東京五輪が閉幕した。それぞれの想いを持って挑んだ選手たち、選手の家族、同僚、スタッフ、大会ボランティア、都市ボランティア、医療ボランティア、スポンサー企業、競技連盟、競技会場、メディア、自衛隊、交通機関、警察官、パートナー企業から出向した人、そして視聴者。

 閉幕した昨日今日で選手たちが次々とSNSに挙げている「こんなにも沢山の方々に支えられているとは知りませんでした」の言葉。私も大会ボランティアとして東京五輪2020に携わり全く同じことを思った。

 この2020大会に現場で関わった方々が閉幕した今どのような気持ちで過ごしているか私にはわからない。SNSを見ると良い感想もあればもちろんその反対のものもある。閉会式演出や選手のSNSでこんなにも私たちボランティアに対しての感謝を意を発信してくれるなんて思ってもいなかったから、私は予想以上の嬉しさに満たされているが、そのボランティアのツイートでさえも「最後の日までいろいろ思った、帰って閉会式見よう」というものもあったくらいだ。

 ただ、ひとつだけ確実にいえることは、この2020大会は他のどの大会でも体感し得なかったものだらけであったということ。過去の・未来の大会を否定するわけではないが、絶対的に体感の内容が他の大会とは違っていた。

 私は2018年秋のボランティア応募から面接やグループ研修・全体研修を1年間経て2019年秋に内定を頂いた。東京で最終日を飾るマラソン競技に配属されたら嬉しいな、なんて思いながら職場にも2020年夏の長期不在を調整してもらったり、着々と準備を進めていた。選手でなくボランティアとはいえ私たちも大会から逆算して色々な準備が必要だった。他のボランティアさんも同じだったと思う。この大会ボランティアが終わったら引っ越しをしようとか結婚しようとか妊活をスタートさせようとか、中には退職をしてこのボランティアに参加した方々もいるくらいだ。(実は私もそのつもりで上長に内定を打ち明けたら、素敵なチャンスだから有給で行ってきなさいと言ってくれた。なんて幸せ者)

 そんな、内定をもらって休みも取れることに浮かれポンチだった時期のすぐ3ヶ月後、世界の状況が一変した。全然浮かれてる場合ではなくなった。

 そして東京五輪の延期。選手たちもボランティアたちも待ちに待った17日間をお預けにされていたあの夏、私は急遽襲われた目の病気で入院・手術をして更に浮かれている場合ではなくなっていた。(詳細はこちらの記事で。読まなくてもこの先支障ないです)

  正直今になって言うと、あの頃はもう両目が見えるような生活に戻れないかもしれないと覚悟もしていたので、延期になった五輪のことなど考えられなかったし、自分が動けないのに今この病室の外で五輪が行われて世間が盛り上がっていなくて良かったとさえ不謹慎なことを思ってしまっていた。医療従事者の方や罹患された方には本当に申し訳ない心境だった。弱さや人間の本質とはこのような窮地で露呈されるのだなぁと痛感したし、情けなかった。

 それでも、そんな私でも普段の日常生活が送れるような体に戻りたいと思わせてくれ、実際に少しずつ戻りながら楽しみを思い出させてくれたのが大好きなスポーツ(陸上)観戦だったのだ。休んでいる間はエンタメコンテンツも沢山聴いたし心を満たしてくれたが、やはり現実の世界で自分に向き合い、コツコツと目標に向かって愚直に毎日を繰り返す選手たちには比較にならないほど心を揺さぶられる。励まされる。本人たちには大げさと言われたり、(私が女性であるがゆえに)黄色い声援と思われてしまったり、先日発売されたの大迫傑さんの書籍にあるように「ファンのマスターベーション・感動ポルノ」と捉えられてしまうかもしれない。現にそうなのかも。

 それでも私はそのマスターベーションで暗い道を進もうと奮起できたのだ。それがどうしようもなく孤独な夜を救ってくれることだってあるじゃないか。こんなことで崩れてたまるか、ぜっっっっったい何歳になってからだって元の生活に戻って幸せになってやる!と思わせてくれたのだから、私にとっては特別なものなのだ。

 それから約1年後の2021年8月、私はオリンピック最終日のさいたまスーパーアリーナにいた、大会ボランティアとして。

 担当種目はバスケットボール、女子日本代表が決勝戦に進み王者アメリカ合衆国と戦っていたあの空間。テレビ・ネットでリアルタイム観戦していた方はおわかりだったと思うが、客席には(間を空けて)大会ボランティアが座っていた。後でメディアや世間に叩かれてしまうとわかっていながらも、女子日本代表選手たちを少しでも金メダルに近づけるために、応援を増やそうとボランティア達を特別に客席に入れる判断をしたスタッフさんを私は称えたい。もちろん応援と言っても声は出せないので拍手だけで選手たちに届ける。応援の指揮を手拍子でなんとか取っていくスタッフさんの心意気にも感動した。ここに来れなかった選手の家族・ファンの方々の分までそこにいた全員が一丸となって応援をしていた。

 試合の後の表彰式、女子日本代表は銀メダルを授与されていた。17日間全種目全競技あわせて878回の表彰式音楽も、ここで聞くのと閉会式でのマラソン表彰を残すのみ。この17日間の活動やこの活動にたどり着くまでの日々のこと、ここまでの生活に戻りたいと思わせてくれた陸上を好きになった思い出たちなどが一気に思い出され、じんわり込み上げてくるものがあった。1年前のあのときはこんなに感動的なシーンに立ち会えるなんてもうないと思ってしまっていた。スポーツはこんなにも人の人生に影響を与え、新しいなにかを生み出すチカラがある。

 そんなことを思っていたとき、ひと席空けて私の隣で表彰式を見つめるボランティアの男性が、静かに手で涙をぬぐっていることに気づいた。

 はっと目線を正面に戻し、それでも横目で見てしまう。やっぱり泣いている。

 周りを見渡すと、同じようにボランティアの方々が何かをこらえるように、目に焼き付けるように表彰台に立つ選手たちや掲げられた国旗を見つめていた。でも一切喋ってはいけないのだ。だから表彰式という一番盛り上がるはずのこの瞬間もスタッフは全員無言。必然と流す涙もいつもより静かにこらえようとするのかもしれない。歓声もハイタッチもハグもないけれど、なんて美しい静かな景色だったろう。今大会だからこそのワンシーンだ。

 私と同じようにここにいる全員がこの大会を迎えるまでのこれまでを思い出していたのだと思う。はじめに述べたように、選手でない私たちにもこの日まで色んなことがあった。連日報道されるニュースにあれやこれやを思いながら、周りからも思われながら、辞退する仲間もいるなかで残ってやってきたのだ。私に上記のような想いがあるように、ここにいるひとりひとりがこの大会に携わり、選手を応援したかった理由を持っている。それを貫き通した人だけが2020+1の大会でこの静かな涙を流すことが出来た。

 大会ボランティアの皆さんがどんな参加理由だったかはわからないが、その理由を貫き通し、同じ志を持つがゆえに現場にいれてくれた粋なスタッフさんたちと、自国の選手たちが表彰台にあがり思いっきり笑う姿を目の前で見守ったあの空間は言葉に変え難い瞬間だった。その場にいた全員が一生忘れないのではないか。先にも書いたが有難いことにボランティアへの発信を閉会後もテレビやSNSで沢山見る、でも御礼を言いたいのはこちらの方だ。選手のみなさん、招致してくれた方々、沢山の感動をありがとう。他のボランティアの方も同じことを思っていると思う。


  最後に、Twitterでも紹介したのだが、ある選手のツイートのお言葉に甘え、手元にはないがこのメダルを胸に刻み、今大会の思い出を締めたいと思う。

訳:すべてのボランティアとこのオリンピックに参加してくれたすべての人に感謝します。あなたたちがいなければ、私たちアスリートは最大のステージで競争する機会がありませんでした。あなたたちはみんな金メダリストです。感謝の気持ちを表すためにゲームシャツを何枚かプレゼントする機会を得てうれしいです。





おわり


photo by 
momoko konosu







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?