あの日出さなかった読書感想文(ジェリー・スピネッリのスターガールを読んで)
あの日出さなかった読書感想文
年を重ねることのメリットの一つは、「本がどんどん面白くなる」こと。昨日と今日でジェリー・スピネッリの「スターガール」と「ラブ、スターガール」を一気読みしてそう思った。
スターガールの舞台はアメリカ。主人公の名前はスターガール。この名前、アメリカ人でも「ぎょっ」とするらしい。この名前を聞いた人は「本気?」と返すか、「素敵ね」と微笑むかどちらかを選ぶことになる。
星から来た女の子だから、とか宇宙人だから、とかそんな理由で主人公がStargirl と名乗っている訳ではない。この名前は、自分で自分に付けた名前なのだ。
それ以外は、スターガールは平凡な高校生の市民である。
え、スターガールって平凡だっけ?
そう、自分でも「そう」思ったことにとってもびっくり!!昔読んだ時は、なんて平凡からかけ離れた子なんだと思ったのに!
「スターガール」シリーズを未読の方はなんのこっちゃと思うかもしれないが、スターガールはアメリカ文学屈指のイノセンスの持ち主。損得感情なんてものは知らず、いつでもどこでもハートに従って生きる女の子。彼女が人々の心を掴む様はカリスマ的で。ただ存在しているだけで、人々に様々な感情を思い起こさせる。それは憧れだったり、嫌悪や羞恥だったりするかもしれない。実際、スターガールのボーイフレンドとなるレオは、彼女を愛し、時には憎み、葛藤することとなる。
初めてスターガールを読んだのは小学生の頃だった。ラブ、スターガールが発売されたばかりだった。ラブ、スターガールはシリーズの2巻目。なのに私は何も知らずそっちを買ってしまい、読破したものの「意味わかんない本買っちゃった」と思った。覚えていることは、彼女がフェンスの上にオレンジを置いていることと、ペットのネズミがポケットの中で子どもを授かったことだけ。
次に読んだのは大学生になってからだった。大学の図書館にあったのだ。私は小学生のころ感じたガッカリを取り戻すべく読んだ。
知らなかった。なんて読みやすい文章だろう。なんて丁寧なんだろう。なぜこの人はそう思ったのか、ぬかりなく説明されているのを感じた。
スターガールはなんてイノセントなんだろう。なんてマインドフルなんだろう。彼女は自分が貧しいとか富んでいるとか、きっと勘定に入れていない。自然を愛し、他人を愛し、自分自身を愛している。いっそ世間知らずなティーンの物語を、私はバイブルだと感じた。
それから何回かスターガールを読んだ。そして一年ぶりくらいに、また読んでみた。
やはりめっちゃ面白い。面白いけど、あれ、スターガールってこんなに親しみやすい女の子だったっけ?
ひさびさの再読だったのもあり、私の中で彼女はそれはそれは美化されていたのかもしれない。
私の中のスターガールはいつもハッピーで歌を歌って踊りを踊っていた。他人に親切で、与えることの達人。優しい目で地平線を見つめる聡明さも兼ね備えていた。
だけど今回、あまりにも彼女は等身大であった。理不尽な出来事に泣き、不確実なものに悩み、不幸を感じることだってある。良かれと思ったことが完全に裏目に出て、ヘマをこいたり。適当に発言しちゃってマズイ!と思うことも。人を傷つける体験もたくさんする。大人に諭され、考えを改めることだってある。
彼女はまだまだ地面を踏み締め、地盤を築いている最中の少女だった。
とはいえ、彼女がイノセントでカリスマ的存在であることに変わりはない。彼女のすごいところは自己省察力。そして自分の人生を信じる力。ただそれだけで、そうやって存在するだけで、他者の心を温めてしまう。他の人の人生にまで、良い影響を与えてしまう。彼女はまさに夢見心地なムードだ。
調べて見たらスターガールは映画化されているらしい。2本も!そしてなんと2作目はハハハハハハリウッドが舞台??!?ハリウッドスターガール??!ハリウッドは小説には全く関係ないはずで、一作目はアリゾナ、二作目はペンシルベニアが舞台である。アリゾナ編は映画化されたようだが…ペンシルベニアどこいったの???!!!(スターガールはアリゾナからペンシルベニアに引っ越して、レオへの長い長い手紙を書き上げるお話でもあるのに〜泣)
確かに、スターガールのママは舞台衣装作家だし、スターガールの才能をシルバー・ランチ・トラックに留めるのには少し寂しさがある。だから舞台をハリウッドにして、彼女をハリウッドスターにしよう…となるのはわかる。そのくらい魅力的な少女なのだ。
しかしラブ、スターガールは飛ばされてしまったわけだ。
私、ラブ、スターガールでスターガールとペリーが恋人にならない展開がくすぐったくて好きだった。
ペリーは家庭環境に恵まれなかった貧しい男の子。そのせいで卑屈っぽいし盗みのような軽犯罪もやる。だけどスターガールは貧しいという事実をそれ以上でもそれ以下でもなく受け止めていた。関わっては危険な人物と判断せず、どこまでも対等な関係を築く。ペリーもそんな彼女を前に優しい気持ちになったのだと思う。(そう!スターガールは誰も責めない。そこがすごい。同時に疑わないことが危うさでもあるのかもしれないけど…。)
スターガールとペリーの関係は、ゆるやかに甘い感じの雰囲気になっていく。普通の女の子だったら、黒髪で青い目を持っていて、達観した男の子(つまりペリー)と良い雰囲気になったら有頂天になっちゃう。しかもいつも悪ふざけの雰囲気のペリーが、彼女にちょっと真剣になってゆく感じがとても良い。
でもスターガールはめちゃくちゃ自分に正直だった。自分の心がどんな風にときめいているのか、そうでないのかきちんと感じ取って判断することができた。そして、「素敵な男の子と恋するなんてチャンス、もう2度とないんじゃない?」なんてことは微塵にも思わなかった。だから新しい恋の予感に安易には飛び付かなかった。
だからと言って、ペリーに魅力がなかったかといえばそうでない。もちろんペリーは素晴らしい人間だということを彼女は分かっていたし認めていた。きっと彼へのトキメキあったと思う。
ペリーの話を出したからにはレオの話も出したい。レオー!!レオは一作目でのもう一人の主人公で、しばらくの間スターガールのボーイフレンドであった。天真爛漫なスターガールとは少し違い、波風立てず周りと上手くやって行きたいタイプ。それゆえアメリカの砂漠の片田舎で目立ちすぎてしまったスターガールにどうか周りの人に同調してくれ、馴染んでくれと願う。結果、二人の関係は破綻し、レオはスターガールをふってしまうのだ。このことでアーチーに散々コケにされているし(アーチーは彼女を崇拝しているので。)、スーザンにもケツの穴が小さいと評されてしまった男の子である。
しかしレオは、懐が深く、芯の強い、優しい男の子だと私は思う。
YES
レオがただ一言、スターガールに伝えた言葉だ。YESって、計り知れないほどの意味を含んでいると思う。これ以上に、全肯定の言葉はあるだろうか。これ以上に、全肯定以外の意味を含まない言葉はあるだろうか?
レオがスターガールに「YES」と贈ったことがわかった瞬間、私は歓喜してしまった。よくやったよレオ!!と言いたくなった。
YES
(↑う、美しい〜!)
アーチーの話ではレオはスターガールに相応しい男に育ってゆく。高校生活では個性的な女の子と仲良くなり、集団から孤立してしまったレオ。集団意識の中で生きていたが個を経験することとなってしまったレオ。アメリカ文学のイノセンスにおいて、イニシエーションは避けられない。スターガールという生き方を知った後、レオは何を得て大人になっていったんだろうか。「家族のない一人暮らしだが、孤独を感じたことはない。」と彼は言う。彼はすべての物事や人の中に、スターガール、あるいは善性を見出しているのだ。読者が分かることは、レオが人生のお守りを手に入れたということだ。あるいは人生を味方につけた、とも。
反対に、スターガールがレオを支えたように、レオもスターガールの心のともしびになっただろう。レオがYESという気持ちをしっかり示してくれたのだから。
30歳ごろ、15年の時を経て、レオは再びヤマアラシのネクタイを受け取ることになる。このことがどんなに私の心を躍らせてくれただろうか。スターガールはもちろんフィクションなのだが、彼女とレオの物語は奇跡を信じる原動力になると私は思う。
おわり
追:読んでくださって本当に、本当にありがとうございました!とっても嬉しいです。
タイトルの意味は、高校生の時、読書感想文が夏休みの宿題で出されていたのに提出しなかったからです。とっても一生懸命な国語の先生にずっと申し訳なかったと思っていました。
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