希望とは
子ども
王様は裸だと言ったのは、街の子どもたちだった。
木をきらないで、公園を守って、おうちをどうろにしないで、じどうかんであそびたい、そういうプラカードを、私は見たことがある。
「テレビで国会前のやつを観て、真似した」と話した子もいた。
2011年以降に生まれた子どもたちが生きている世界は、2011年にすでに生まれていた私たちの行動や言葉で形作られている。
うちの保育園では月に一度、給食やおやつに職員の地元の郷土料理メニューが入る。
先日は鹿児島のおやつ「ふくれがし」が提供された。
黒糖を使用した蒸しパンのような食べ物。こんもりまあるく膨れていてかわいらしい。
4歳児が私に向かって叫ぶ。
「わぁー!みて!まるくてちゃいろくてかーわいーい!せんせいのおかおににてる!」
ん?どこら辺が似てるの?
「えっとねぇー、ちゃいろくてまあるいところ!」
普段鏡を見なさすぎて自分がどれほど日に焼けたか気づきもしなかったけれど、そういうわけで、顔にも体にもこれでもかと日焼け止めを塗りたくって出掛ける日曜日です。
百年と希望
珍しく電車に乗って、渋谷へ。
人混みをまっすぐ歩けない私は、斜めに傾いたり、スクランブル交差点の対岸にたどり着けずにぐるっと回るようにして渡ったりしながら、映画を観るために歩いた。
今年の7月に結党100周年を迎える日本共産党がテーマの映画なので、歴史的なものを紐解くのかなとか、多少身構えて観に行ったのだけど、なんていうか、「あ、だからこのタイトルなのか。」というところが腑に落ちる内容だった。
歴史の上に立ち、これからを創っていこうとする意志。
それを社会は歓迎してもいるのだけれど、意志を持って背負って立とうとする人の壁となるのも歴史的な背景だったりする。
監督はTwitterで「これはフェミニズムの映画だ」と呟いている。
昔から運動を支えてきた人たちが生きてきた生活と、今を背負う人たちが生きている生活の違いが明らかに浮かび上がる。
私も自分が市民運動に関わる中で、家父長的なものが染みついた組織、個人との話し合えなさを実感してきている。
もう、そういうのは終わりにしよう、これからの時代はこうだよ、という強いメッセージを、淡々と静かに切り取られていく場面の中で受け取った。
希望のポリティクス
岸本聡子さんのマガジン9の連載を読んだことある人は結構いるのではないかな。
6月20日、杉並区に新しい区長が誕生した。
杉並区内各地でそれぞれに自分の身に降りかかった問題と向き合ってきた住民が徐々に集まって、「もううんざりだ、絶対に区長を変えたい!!」と区長選挙に向けて動き始めた、昨年末。
年が明けてもなかなか区長をやるぞという候補者が出てこない中、とにかく今ある課題をもっと多くの人に知ってもらって、同じ地域で同じ問題に直面している人が繋がりあって、最後は誰が選挙に出ても恨みっこなしでやるしかない、という覚悟を決めて住民が新しい区長を誕生させるべく、話し合いを重ねていった。
住民思いの杉並区長をつくる会。
元々杉並では住民運動が盛んで、原水禁署名、歴史教科書問題、脱原発、など、さまざまなイシューにずっと取り組み続けている元気なおじさんおばさんおじいさんおばあさんがたくさんいる。
その人たちはもちろん最初から携わってはいるのだけれど、20〜80代までが集う中で、私も含めた30〜50代の仕事と子育てと介護真っ最中世代が中心になって物事を進めていけるよう、一歩引いて援護してくれた感がある。
会の名前は、その日初めて会議に参加した人の意見が採用されて決まった。
その後も、「今」自分が直面している課題と向き合っている当事者の住民が中心となって、会の活動は進んでいく。
利権でつながることに躍起になる区長、陳情が審議すらされない議会、住民が納得のいく説明をしないまま「もう決まったことなので」とゴリ押す行政主催の説明会、が常態化した杉並区政を前に、私たち住民は何を望むのか。
まずきちんと情報が公開されること、小さな声でも聞き取って対話しようとする姿勢を行政が持つこと、個人の生活が大切にされること、そしてとにかく現場の生の声を活かした政治でなければ意味がないからと、福祉や医療や教育、非正規雇用、環境問題、大規模な再開発、などなどそれぞれが直面している課題から掘り下げて行って「これをやってくれるなら間違いない」という理想を詰め込んだ政策を作った。
あとは候補者が決まれば…という話をしている時間がとても長かった。
4月に入り、候補者がようやく決まった。
彼女はいろんなところから選挙にでないかと誘われていたらしいのだけど、住民思いの会が開催した1月の集会の様子をYouTubeで観て、「ここでやりたい」と惚れ込んでくれたという。
地球規模の落下傘、と呼ぶ人もいたが、本当に、私たちのように自治体で住民運動を起こして行政を変えてきた世界中の取り組みを支援する立場にいた彼女が、杉並の地に足をつける決意をしたのだ。
それからは、これまでの当事者の活動と彼女の持つ知識と経験に裏打ちされた言葉とが折り重なって、「どうせ変わらない」と諦めていた人たちが「もしかしたら本当に変わるかもしれない」と思い直したり、「何かが起きている」と敏感に感じ取って行動する人が現れてきて、ほんの2ヶ月で、前回より投票率も5.5%上げるような細やかかつ大胆な活動が行われていった。
自分で背負って立つ、1人でもやる、やれることは全部やりたい、という意思を持った自律的な一人一人の行動が全部を動かしていた。
選挙本番ではついに、マイクを持って喋る市民を前に候補者が地べたに座ってその話を聴いて頷いているという、日本の選挙では見たことないような光景が生まれていた。
「答えは人々が持っているのだ」と知っている人が、行政の長になる。
これからどうなるのかは、私たち住民が握っている。
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