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なぜ瞑想をするのか?

呼吸に集中することがなぜ重要なのか尋ねました。 

瞑想の原理について詳しく説明します。


" #呼吸に集中することがなぜそんなに重要なのですか?」

"why is so important to focus on your breath?"


「呼吸に気付くのが瞑想の目的ではありません。 



瞑想の目的は、私たちの心が否定的に作用せず、常に静かで肯定的に作用するようにすることです。



 もちろん人々は誰でもそうなることを望みます。 ところが、私たちの心は常に否定的に作用します。 なぜでしょうか? それは心の習慣が否定的に形成されてそうです。



 このように形成された体と心の習慣をインド語では「カルマ」、仏教用語では「業食」と言います。

私たちの日常的な用語では「習慣」と言えます。



瞑想をする時、呼吸に集中する理由です。


外から刺激が来ると、心の#習慣によって自動的に否定的な反応が起こります。 すると、それによって否定的な感情が起こり、荒い言葉と行動が外部に表現されます。 そうなると私に多くの損失が生じます。 かっと怒るなら他の人たちが私を嫌がるでしょう。 ある場合は経済的損失を被ることもあります。 また、私が怒って暴力的な行動をしたなら、警察に逮捕されることもあります。


#気遣います

私たちはこのような損失を防ぐために怒っても我慢するようになります。 ところが、心で否定的な感情が起きる時に我慢すると、その感情が解消されるのではなく、心の中に圧力が出ます。 これを「ストレス」と言います。 ストレスを受けると私が苦しくなります。 我慢して我慢できなくて爆発すると大きな損失が出ます。 損失が生じると後悔し、また我慢することになります。 私たちの日常はこのような流れが繰り返されています。


ですから我慢することは、今すぐ損失を防ぐ効果はありますが、問題の根本的な解決策ではありません。 我慢するとストレスを受け、爆発させると損失が生じるから、ここで私たちの課題は我慢もせず、爆発もせずに否定的な感情を解消することです。 つまり、#ストレスを受けずに外部に間違った行動をしない道はないか、ということです。

我慢もせず、爆発もしません。


そうなるためには、否定的な感情が起こることに早く気づく必要があります。 否定的な感情が始まる時、すぐに気づくべきです。 さらに否定的な感情が起こる前に不快感を感じるといいですよ。 不快感は私がコントロールできず、外からある刺激が来ると自動的に起きてしまいます。 そして不快感が否定的な感情に転移します。 もし否定的な感じが起こる瞬間にすぐに気づいたり、否定的な感じは逃しても否定的な感情を初期に察知すると、感情を抑えずに否定的な感じと感情を解消することができます。


ですから、感情が細かく起こる初期に気づくことが大切です。 そのためには散漫ではなく集中していなければならず、浮かれていない静かな状態の心を維持しなければなりません。 そして心の状態に対する気づきが維持されなければなりません。 日常で他の人と会話をしたり、何かを見たり、匂いを嗅いだり、外部から刺激が来た時に微細に反応する気持ちに気づかなければなりません。


『これは火打ち石が当たると火花が散りますが、周りに燃え移らないようなものです。



 火打ち石がぶつかると炎がキラキラして起きますが、周りに引火物質がないとすぐに消えてしまうように否定的な感じによく気づいていれば、それがそのまま消えることを経験することができます。 』

また、否定的な感じに瞬間的に気づかず感情に転移したとしても、つまりどんな引火物質に火が燃え移ったとしても、否定的な感情に早く気づくととても小さな火が出て、簡単に引くことができます。



呼吸器量が維持される時に起こる現象です。


それでは、感じや感情が起こる初期段階をどうやって知ることができるのでしょうか? 1つ目の方法が呼吸に気づくことです。 今このように座って静かに目を閉じて、心を鼻先に集中して「私が呼吸しているのか」とチェックすると呼吸していることが分かります。 それでは呼吸を今だけしているんですか。 違います。呼吸はいつもしています。 生きている限り、常に呼吸が行われているのに、呼吸に関心を持つと「呼吸しているんだな」と気付くことができるのです。


そのように、私たちの感じと感情も常に外部から刺激を受けると起きるのですが、私たちはそこに起きていないので見逃し、感情が激しくなる時になって分かります。 激しい運動をしてから息を切らしているときは呼吸しているのが簡単にわかります。 これは誰でも分かることです。 そんな荒い呼吸ではなく、私が関心を持たないと気がつかない細かい呼吸に気づく練習をする必要があります。


動いて瞑想の姿勢で座ると、最初は呼吸が少し荒れます。 それで呼吸することがすぐに分かります。 ところが、時間が5分、10分もすると体が楽になりますから、荒い呼吸がだんだんと静かになります。 呼吸が静かになったときに集中しないと、呼吸を逃がしてしまいます。 呼吸する感覚が小さいので、実際には気づきにくいです。 すると、頭の中では過去の過ぎ去った考え、未来の構想などが詰まってしまいます。 呼吸は跡形もなく想像の中で時間を過ごします。​



ところが、鼻先に心を集中させ続けて、とても微細な呼吸まで気付くということは、自分の体から起きるとても微細な感覚に気づくという意味です。 こうなると、鼻の穴の周りだけでなく、体の他の部位の細かい感覚も自分で気付くようになります。




呼吸以外は何も妄想です。

この時もちろん多くの妨害があります。 目を閉じていると、目から幻想のようなものが見えたり、外から音が聞こえたり、体から足が痛いとか、荒々しい感覚が刺激を受けたり、眠気が来たり、過去のあれこれが思い浮かんだり、未来のことを思いついたり、こんなところに心を奪われると呼吸を逸してしまいます。

このように呼吸に気がつかない状態は、ただぼんやりした状態のようなものです。 このような刺激にもこだわらず、呼吸を持続的に察知するということは、私が起きているということです。


#呼吸の気づきがある程度練習になると 、日常の中で自分の心の働きに気づくようになります。
私が少し焦りを出すと、呼吸が少し早くなるのを感じます。 体から少し熱が出るのも感じられます。 体から起こる微細な感覚や不快な感じなどを早期にチェックできるようになります。​
ところが、このように初期に起こる微細な感じは、それに気づいて注視しているとすぐに消える性質を持っています。 



思わず感情が激しくなったり、それに伴う行動が出る前に感情が消えてしまいます。 そうなるために、呼吸の気づきを練習しているんです。


ですから、#瞑想をするときは呼吸に気付いた以外に、何も意味を与えてはいけません。 どんな状況でも呼吸感覚を維持しなければなりません。 それを地道に練習していくのが修行です。

● 韓国法輪僧侶の即問即説中の一部を日本語訳分

ありがとうございました。

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