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散歩とドストエフスキーとメタルキング

ドストエフスキーの『死の家の記録』を読んでいる。死の家とはシベリアの収容所のこと、収容所で生活する元ロシア貴族の獄中記というか、人間観察の記録である。

かなり長いが面白い。獄中はろくでなしばかりだが、普通にお金が流通していて、囚人はパンを買ったり酒を買ったりしている。金は囚人が自らアルバイトみたいなことをして稼いでいて、やっぱり金のあるやつは綺麗な服とか布団を持っていてちょっぴりいい生活をしているのだ。
地獄の沙汰も金次第というわけである。

加えて、獄中では人間関係が重要で、グループや派閥があり、うまくやっていかないと不利益を被る。付き合いが上手な奴は、苦役もちょっぴり減ったりする。孤独な人間は悲惨だ。

つまり、監獄のなかも、娑婆も大して変わらんというわけだ。なんなら、衣食住の保証を目当てにわざと犯罪を犯すやつもいるらしい。

人は社会的動物であり、人が集まれば社会が生まれ、面倒な人間関係が生まれる。
つまり人は人間関係からは逃れられない。

他にも色々な気づきがあるのだがとにかく長くて読みきれない。

ふと思ったのだが、自分の自由を行使せずに最近は引きこもっている俺は囚人といったいなにが違うのだろうか?

そんなことを散歩しながら考えた。
散歩のお供はドラクエウォーク。一ヶ月に15万歩歩くとメタルキングへの挑戦権が得られるのだ!
そう、大量の経験値が得られるあの快感が味わえるのだ。散歩の動機は十中八九これ。目の前にぶら下がったにんじんを追いかけるうちにこんなにも歩いてしまった。

まあ、健康にいいから悪くはない。

この腐った娑婆世界で俺はもっともっと自由を行使していくつもりだ。

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