人生の目的よりも大切なもの
「人生の目的」という言葉はよく聞きます。
この言葉には、
「自分には何か生まれてきた目的があって、生きている間にそれを見つけて達成しなければいけない」
という前提があるようです。
さらに言うと、人生の目的を探すのは、何かしら人生がうまくいってないときです。
・職場の人間関係がうまくいかない
・仕事が不調で辛い
・パートナーシップに終わりが見えてきた
など、状況は様々ですが、目の前に不本意な現実がある時に、人は生まれてきた目的を探すのでしょう。私自身もよくそんなことがありました。
しかし今になって思うのは、
人生の目的を見つけなければいけない、という意識が自分自身を追い込んでしまう
ということです。
なんといっても「目的」ですからね。達成しないとまずい、という気になります。
そこで私が最近使い始めたのは「人生の意図」という言葉です。
「意図」、つまり「目的そのもの」よりも「どんな背景があって、どうやってそこに行こうと考えたのか」です。
・自分がこんな才能を持って生まれたのはなぜなのか
・こんな家庭環境で、こんな両親のもとに生まれたのはなぜなのか
・こんな仕事をして、こんな経験をしたのはなぜなのか
・そして、その才能をどう使おうと思ったのか
などなど、パズルを解いていくような感じです。
もちろん「目的探し」でも同じような問いかけはするでしょうが、目的を探す時の気分はもう少し気楽です。
・ああ、こんな才能があればこんな楽しいことができると思ってたんだな
・ああ、こんな両親だったらこんなこんな考えが身につくと思ったんだな
・ああ、こんな仕事だったらこんな能力が身につくと思ったんだな
と、「隠された意図」を探っていくゲームのような感覚です。
面白いのは、意図が分かったとして、実際にどんな人生を展開するかは自分次第と思えるということです。
事前に決めた目標を目指してもいいし、目指さなくてもいい。
もっと面白そうな体験をしたい、とか、もっと学びになりそうな体験が見つかれば、そっちにいってもいい。
自由度があるわけです。
風の時代になって、「方向転換」も許されるようになったんじゃないかと思います。
・もともとこうするつもりだったけど、こっちの方に行こうと思う
・そのためにはこの才能や経験をこんな風に使っていこう
・こんな体験をするともっと楽しめるんじゃないか
と、その都度考えながら人生をデザインできたら、それはそれで充実感を持てるのではないかと思います。
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