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記事の素材を探すこと

 平日は毎日書くと決めて(しまい)、早3週間が経とうとしている。当初のプランでは日頃から書き溜めたものを、毎日30分弱で校正して出すという目論みであったが、そんな希望はとっくの昔に泡となっている。とりあえず欠かさず出すことが目標だから、今のところは毎日が記事の素材探しの旅である。

 この記事のタイトルを「探すこと」とした。「探し方」のような表現にすることと、「ハウツー(How to)」のような内容だと誤解されたくなかったからだ。今日は探すという行為に焦点を当ててみたいと思う。

 まず端的に言うと、毎日のご飯を考えるようなものだと思っている。例えば米を炊いてあれば主菜は肉にするのか魚にするのか、そもそも何も用意がないなら家で食べるのか外食をするのかを考えるだろう。私も日々の食事はこんな感じである。もう少し掘り下げると私は「昨日はOOを食べたから」とか「明日はXXさんとあのレストランでランチだから」とか前後の予定なども考えて「現在」のプランを立てている。これはnoteも同じで「昨日はあの内容を書いたから今日はその続きを書こう」とか「昨日読んだあの本の内容をもう少し自分に引き寄せて言葉にしてみよう」とかそんな物である。

 せっかくなのでこのまま料理の話と並行して進めよう。私が当初思い描いていたnoteの書き溜めという行為は、料理で言えば作り置きのようなものだと思う。毎日何を食べるのか考えるのではなく、ある程度の期間についてあらかじめ考えておき計画的に買い物をし、調理師、保存しておく。noteなら週ごとぐらいで書くことを先に決めておき、ある程度書いておく。これを実践できたなら、おそらく今の私のように毎日書くことに困っているような状況にはならないだろう。ただ、今の私の書き方にもどこか居心地の良さを感じる。「今日はこれについて書きたい!」と直感的に思いついた日(まさに今日)は踊るように筆が進む。こうした感覚はパソコンを前にして早くから「計画」していてはなかなか得られないように思う。

 では、どちらが良いのかという話に行ってしまいそうだが、そうはしない。要はこの間で行きたいと思う。計画することは悪いことではない。ただ計画したものをそのまま守らなけれがいけないわけではない。でも毎日「これについて書くのだ」と言えるようなひらめきがあるわけでもない。ひらめきに任せる日と計画に乗っかる日。それぞれがあることで書くことにも困らず、でも思いつきにも対応できる。食べたいものがあれば、作り置きは翌日に回して食べに行ったって良い。書きたいことを見つけたら飛びついたって良い。探すというのは能動的な言葉だが、少し大変さを身に纏った言葉である。逆にひらめきは受動的だが明るい。そんな両面をどこかで意識しながら日々の原稿に向き合えるようになりたい。

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