制度が生み出す風見鶏受験生の深刻度【総合型選抜入試に惹きつけられる人たち】
ついにというか、とうとうというか、今年で3年連続で、問題と感じる受験生を目撃する事態になりました。
私が勤務する塾には、優秀な小論文の先生がおられます。制度として、総合型選抜入試を高く評価しておられ、熱心に指導されておられます。私が、総合型選抜入試のそのものを批判しておらず、制度設計の問題、とりわけ負担の公平性に着目するのも、この先生の影響も大きいです。
この先生、すごいのは、「総合型選抜入試が楽な制度だと考える受験生」には、容赦のない批判を下されます。指導拒否もありえる厳しさなので、塾長は安易に総合型選抜入試に手を出す受験生には、まずはしっかりとした考えを求めるという事態になっています。
それはつまり、この制度に楽に大学に行ける側面があることを掴んでおられ、かつそのような考えの受験生を引き寄せてしまっていることに問題意識があるのではと思っています。
迷走する確率が高い「ある大学のある学部」
そういう側面があると、どうしても行動の定まらない受験生を生み出してしまいます。そのような受験生が強い魅力を感じるようなのが、名指しで申し訳ないのですが、九州大学共創学部です。
一応、学際領域の学部ですが、理系の志願者に出会ったことはなく、実体は文系の受験生がターゲットとする学部なのかなと感じます。
春先にここを志望している受験生は、かなりの確率で迷走します。
3年連続で目撃したこともあり、一定の法則性があるのではと思います。
なぜ迷走するのか?
迷走する理由は数学の位置づけだと見ています。
まずは一般入試で考える場合、数学は必要です。そのため、春先は熱心に数学を勉強しています。
しかし、数学の勉強が芳しくなく、それが結果に反映するようになると、
「総合型選抜入試も考えています」と言い出します。
九大共創は、九大の学校推薦型および総合型選抜入試には珍しく共通テストを課しません。それはそれで意義があるのかもしれませんが、受験生目線では
「数学を頑張らなくても、入れそうだ」
という理解と映るようです。そのため、
「数学より小論文を重視したいです」となります。
数学の出席率が下がったり、夏期講習は受けない・・・となります。
迷走する数学の位置づけ
そうなると数学の位置づけは、迷走します。
2次でも必要+私立大数学選択から
↓
共通テストでのみ必要+私立大学は社会選択
↓
共通テストでは数学ⅠAのみ必要
↓
国公立大学でも共通テストで数学がいらない大学を選択
と変遷していきます。どこで止まるかは受験生次第ですが・・・。
結果として、勉強の軸が定まりません。そのため、必須であるはずの科目、例えば英語までもぐらつきます。
なぜなら、「総合型選抜入試で受かるかもしれない」という誘惑が受験生を蝕んでいく行くからです。
激怒する小論文の先生
そうなると、総合型選抜入試の対応するこの先生の怒りを買うことは火を見るより明らかです。もちろん、その先生もプロなので手を抜くとかにはなりませんが、本来の総合型選抜入試の趣旨を理解していないと疑われる受験生を指導する苦しさは吐露されているようです。
また、そもそもそのような安易さは、総合型選抜入試の対策にも影響があるのは当然といえば当然ですし、九大共創の先生たちが受け入れたい学生とも一致しないので、当然不合格になります。
で、今はどうなるの?
今年、目撃した受験生は国公立大学を諦め、私立大のみを受けるという方針となったようです。ただ、今更ながら取ってつけたように社会の講座を受講していますが、計画的に勉強をしていないことのツケは当然払うことになるのでしょう。
すべて彼らが悪いのか?
このような受験生たちをみると、100%彼らが悪いのか?と考えさせられます。
九大共創が「共通テストを課す」としていれば、少なくとも共通テスト向けの勉強はしたでしょう。そもそも他学部の大半が共通テストを課しているのに、共通テストを外す意図は何だったのかが、外部からは伺いしれません。ここに問題があるのかなと感じなくもありません。共通テストを課さないことの意味を語らないことは、結果として一般入試よりは、勉強しなくていいという誤ったメッセージを発することになっているのかなと感じます。
受験生の目には九大共創だけが、受験勉強をしなくても入れそうな学部と映ってしまうことは無理もないところとも思うのです(もちろん、批判されるべきは、安易な発想の受験生であることは当然です)。
制度が生み出す悲しき風見鶏
私が目撃した3人の受験生は、在籍高校も、個性も違い、うっすらと感じる共通性はあるものの、基本的に属性の違う生徒だと言っていいでしょう。そのようなバックグラウンドのある受験生がこのようなパターン化された行動となることには、この制度が生み出す問題点が潜んでいるように思えてなりません。
彼らを見ていると、制度に翻弄されている風見鶏のように見えてしまいます。
こういう現実をみると、総合型選抜入試って一体何なんだろうと思わずにはいられません。