イマドキの受験生から見えてくる本当の「学力格差」(3)【年内入試受験で得られなかった本当の損失とは何か】
塾講師をしていて、現場で感じている「学力格差」について書いています。前回はこちら。
出勤すると、塾長から「Aくんが、××大に合格しました」とのこと。
私もそうですが、塾長も浮かない表情。
理由はシンプルで、Aくんは本当に勉強しない人で、やる気のない姿は受験生とは呼べない生徒でしたから。
塾長が担当する英語の出席率はそれなりに高かったものの、私が担当する数学の出席率は低く、それなりに出席していた英語でも問題は山積していたようです。
そんなAくんが終始ターゲットにしていたのは、いわゆる年内入試。
一般入試など全く考えていなかったようで、
私立大学の場合、一般入試より楽に入れるのが年内入試である
という現実を確実に読み切っていたのでしょう。
人間とはすごいもので、そのような思考になると、世間的な受けのいい大学と年内入試で入りやすい大学とのバランスを重視するようになり、そこで選ばれたのが、彼が合格した××大でした。
××大は、世間的にはそこそこ名の通った大学です。一流大学とは目されていませんが、昭和的な表現でいうと、世間体の悪い大学ではありません。
また、一般入試では一定の偏差値があり、国公立大学に合格する生徒たちが併願することも珍しくない大学です。
それでも、Aくんのような生徒が合格してしまう現実。
私が年内入試を高く評価されている方の主張に納得がいかないのは、このような現実を見せつけられるからです。
高等教育を受けるために進学するのに、理系なのに数学も物理も化学も大して理解せずに進学が許されることが私には理解ができません。
彼のような生徒が、基礎学力がないという理由でふるい落とされないのは、Aくんには悪いですが、制度がおかしいとしかいいようがないのではと思っています。
また、この合格によって最大の被害者はAくんだと思っています。
なぜなら、大学入試なんてチョロイと思ってもおかしくないからです。世間を社会をなめた思考になっても仕方ないでしょうから。
何より彼が被った被害は、根源的な意味で、学びとは何かを体感することなく、大学入試をパスしてしまう損失だと思っています。
私は学びとは頭でするものではなく、全身で体感するものだと思っています。それが根源的な学びのへの理解となり、不断の努力をする強固なモチベーションになるのだろうと思っています。
この合格で間違いなく言えるのは、彼がこの考えに到達できるのはずいぶんと先になってしまったのだろうということです。もしかしたら、一生かかっても到達できないのかもしれません。
彼が失ったものは、想像以上に大きい。その意味で、年内入試はもう少し制度を高める必要があるのではと思います。
彼を合格させた××大の先生方はこれでいいと本気で思っておられるのでしょうか?