文系受験生の戦略について考える(3)【「あの科目」のマネジメントの難しさ。塾業界のアキレス腱】
大学受験における文系受験生の戦略について考えています。
今回はその3回目です。
前回はこちら。
今回は、文系受験生にとって、厄介な存在ともいえる、あの科目について書いてみます。
それは、ずばり「国語」です。
国語は、スコアメイクという点において、非常に難しい科目です。
受験の神様とも言われる和田秀樹さん。彼の著書に出ていましたが、和田さんであっても国語は相当苦労されたようで、
国語が0点であっても、東大理3に合格するシナリオを練っていた
と書いておられました。
東大の国語は別格の難しさという事情もありますが、和田さんにしても国語は、「何とかなりにくい科目」でもあります。
では、どうすればいいのかという点において、策があまりないというのは、実は受験業界のアキレス腱です。
東進の林先生に代表されるように、塾・予備校業界には、カリスマ先生はいますが、それは授業が神レベルで上手な方であって、成績を向上させるダイナモになっているかといわれると、他の教科程には効果がないというのも事実なのです。
それを裏付けるような情報として、かつて東進でも教えておられた出口汪先生は、東進を出られた後も、先生の講座は受講生が一定数いたという「伝説」があります。
動画は更新されませんので、古い動画なのですが、先生の良さに気づいた受講生は継続して学習していたのでしょう。
なので、塾業界に身を置く人間としては、国語は成績を上げるのが難しい科目であるというのは、ヒシヒシと感じる実感でもあります。
そのようになる背景には、国語の解答のための思考に普遍性が乏しいという点があります。
林先生に限った話ではありませんが、国語の先生は、自分の感覚でとらえた思考を言語化することで授業をしている人が大半です。
まず自分の思考がある。これを嚙み砕いて「解説」するパターンが多い。
ところが、その先生の思考に普遍性がない。
まあ、それが「個性」であり、それが飯のタネなので、普遍性のある思考への探求は自殺行為ともいえるので、それをやりたがる人は稀です。
そのため、授業を受けた人が先生の思考を共有することが難しい。それをうまく拾い上げられた人だけが、何とか自分のものにできるという構造になっているのかなと感じます。
いい授業を受けることができたことは事実でも、それが自分の成績にフィードバックするかは、未知数ということになります。
その普遍性という点において、出口汪先生は、一貫して注力されておられた方だと私は思っています。先生の説く論理力の重要性は、汎用性があり、だからこそ応用が利く。そのためビジネス書にもアプローチできるのです。
出口汪先生の本には何らかの形でアプローチしておくのも悪くないのではと思っています。
国語の問題については、もう少し考えていきたいと思います。
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