デジタル化は、たぶん人をダメにする(10)【スマホ依存症という視点を持つことの重要性。自分なり決めているセルフチェック項目】
現代社会では、スマホなしでは、生活ができなくなりました。確かにスマホは便利ですが、便利であるがゆえに恐ろしいツールだとも思っています。
デジタル化はいいことであるという説に反論する気はないものの、問題点をもつことも大事だとも思っています。
その問題点のひとつとして、依存症という視点はあってしかるべきでしょう。
まず、依存症かどうかのチェックポイントとして、自分なりにセルフチェックポイントを設けてスマホと付き合っています。
依存症にならないための、NGポイントでもあります。
チェックポイント(1)歩きスマホの頻度
歩きスマホは日常化すれば、それはスマホ依存症だと思っています。状況にもよるので、ゼロにはできませんが、スマホをいじっていない時間の確保という意味でも、歩く時間は貴重あるという認識でいます。
歩きスマホは恐ろしいと常々思っています。というのも、スマホは、集中力を奪う強い力があると思うからです。
だから、↓のような信じられない事故も起こる。
人間は、太古の時代から、外に出ると危険を意識して生きてく「習性」を持っています。外敵から身を守るために必要でもあるからです。
しかし、都市的環境に住むようになった現代人は、本来もっている野性的な防衛力が薄れ、さらにこのようにスマホによって阻害された判断力によって死に至ることとも起きています。
不幸にして亡くなられた女性も、死ぬよりもスマホをいじることが大事だとはおもっておられなかったのは当然だと思うので、これは看過できない歩きスマホの恐ろしさだと思います。
チェックポイント(2) 運転しながらのスマホ
これも意識していることです。ただ、運転しながらのスマホは、やっぱり多い。運転マナー最悪クラスの福岡とはいえ、現状はひどいです。
道交法違反などどこへやら。信号が変わっても発信しなかったり、不自然な蛇行運転をしている場合など、原因はほぼスマホであることは間違いないと言い切っていいと思っています。
そして、個人的に危惧が大きいのは、高速道路でのスマホながら運転が多いことです。
これは、車の安全機能が高まったこと、一般道路よりも警察の取り締まりが緩いこと、単調な直線道路が多いことなどが要因としてあるのではと思います。
何より、高速道路での運転は「退屈」になりがちで、それがスマホに手を出しがちなでもある。
しかし、1秒の判断の遅れが、自分が死に至ることや、加害者になる場合もあるのが高速道路の事故の恐ろしさです。
私は、倫理的な側面の問題よりも、そんな危険を冒してでも、スマホをいじるメリットがある点が問題なのではと思います。
断言していいと思いますが、死に至るリスクを負ってでも、得られる情報などスマホにはないと思います。
それでもスマホをいじりたくなるのは、それはスマホ依存症だからと私は思います。
チェックポイント(3)財布を持ち歩かなくなる
今、財布を持ち歩かない人が急速に増えています。
私には信じられませんが、旅行にすら財布を持って行かない人もいるのだとか。確かに、航空券や新幹線のチケットもスマホがあれば大丈夫ですし、買い物もバーコード決済で充分というのは理解できます。
ただ、そのような思考になるのは、スマホの存在価値をその人の中で高めてしまっているから、財布がいらないという発想になるのかなとも思っています。
なので、スマホがあれば、「財布がいらないという生活スタイル」にならない工夫は大事だと思っています。小さい商店や飲食店を利用すれば、現金のみのところも多いので、財布の必要性も高まる。
生活の中に、脱スマホの要素を多く入れることがスマホ依存にならないコツなのかなと思っています。
スマホ依存がよくないと思うのは、スマホに自分の行動が飲み込まれているともいえ、それは自分の生活のスタイルをスマホに適応しようとしているからそうなるとも言える思っています。
それは、結果として自分自身の思考、行動が「歪んだデジタル化」しているのではという危惧もあります。
依存症という言葉を使ったこともあり、そこまで大げさなではないのではという考えもあるでしょうし、それは正しいとも思いますが、依存症というのは、そこまで大したことではないという入口を経て、どんなに努力しても抜け出せなくものだと私は理解しています。
それは、脳が変化してしまうという構造的な問題でもあるからではと思います。
スマホは依存症を生み出すこともありえる道具。その視点は大事にしておいて損はないだろうと私は思っています。