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謎マナーや謎作法が広まるのは、なぜなのか【ネット時代の仇花か、権威主義の発露か?】
ネット時代になってこれまでとは違った現象が起きるようになったと思います。その一つが、謎マナーや謎作法の広がりだと思っています。
これもその一つでしょうか。
私は、エビの天ぷらのしっぽが大好きで、子どものころから家族が食べないとありがたく拝借していました。程よく水分が抜けて香ばしくておいしいと思っています。
なので、この記事には「過剰に」反応してしまいました(^^;
記事を読むとエビの天ぷらのしっぽを食べるのは、マナー「違反」ではないようですが、そもそも「違反」ってなんやねんと思わざるを得ない。
ヤフオクのコメントに
マナー違反ってのは誰に対してなんだろうか?お店なのか、同伴者なのか、他の来客者なのか。他者からみて、食べ方のマナーは出来ていたら品性がある、出来ていなかったら下品って思うくらい。食べ方のマナーが出来ていないからってその場で指摘したりすることがマナー違反だと思う。
という書き込みがありましたが、おっしゃる通りだと思います。
ある程度のマナーや作法があることは特に問題はないとは思いますが、些細なことで「違反だ」という文化は好きになれません。特に食については、美味しく食べられればそれでいいし、食べ方くらいは好きにさせてほしい。
なので、福岡市が発祥の食べ方にあれこれ指図する全国的な知名度のある「あのラーメン屋」は大嫌いです。何が「集中して食べてもらうじゃ」と思っています(笑)。
それはともかく、ネット時代になってマナーや作法についてうるさくなったところがあると感じています。
それは一体なぜなのか。
まずは、ネットコンテンツのネタとして乱造された点もあるのではと思います。その代表例は、嘘八百であった「江戸しぐさ」でしょう。
ネット媒体の進展によって、コンテンツとして情報が求められていたことがこのような怪しげな謎マナー・謎作法が広がることになったのかもしれません。
そして、その需要の受け皿としてマナー講師という人たちの飯のタネとして、「こうあるべきマナー」というものが広がっていった構造があるのではと思っています。
なので、ネット時代以降のマナーにはマナービジネスのためのマナーがずいぶんと入り込んでいるのではと思っています。
もう一つ考えられるのは、権威をありがたがる国民性です。マナーや作法を「わきまえている」というのは、一つの権威付けでもあるので、それを知っており、できていない人へマウントをとるのが痛快に感じる人が多いのかもしれません。
オジサンは得てして薀蓄が好きなものですが、このマウント上昇効果は一定のマナーニーズを開拓したのかもしれません。
昭和を生きた世代は、フォークでライスを食べるときのマナーについて↓のことはご存知でしょう。
このようなマナーは、根拠が曖昧にもかかわらず、他者の行動を縛る根拠として機能することもある。
マナーを介して、他者に対して「わきまえろ」と圧力をかける機能は時に問題となることもあるように感じています。
このような背景があると、「社会常識を守らなかった組織」の会見で、当事者が「ルールを守ってください」などという妄言を吐くことにもつながるのではと思っています。
とかく、マナーや作法をあれこれ言うのは、権威主義に親和性のある人たちにエネルギーを与える側面もあり、あまり過度になると、息苦しさにつながるのは間違いないのではと思っています。
↓で触れたエスカレーター問題も、
結局は謎マナー、謎作法の帰結だと思っていることもあり、マナー・作法については、警戒しておく程度でちょうどいいのではと思っています。
社会人として、一定の常識があれば、過剰に「わきまえておく必要はない」と思っています。特に女性や若者は、オジサンが「わきまえていない!」と激おこになる程度でちょうどいいと私は思っています。
オジサンのご機嫌をとるためのマナーや作法などろくでもないものであることは間違いないからです。