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意外に深刻かもしれない「不機嫌な人」問題(2)【不機嫌な人は、時代の先端であるとも思う理由・『孤独のグルメ』が切り開いた未来のカタチ】
不機嫌な人が多いのではないか。
その問題に潜む社会背景を考察していければと思っています。
前回はこちら。
不機嫌な人が多いなと感じ始めてから、その理由を探りたくなったこともあり、高齢男性をよく観察するようになりました。
そこで感じるのは、男性の私が言うのもあれですが、「素敵なオジサマ」も結構多いということでしょうか。
カフェでハードカバーの本をゆっくり読んでおられる佇まいは、神々しささえ感じなくもありません。
一方で、語らずとも不機嫌丸出しの高齢男性も多い。そんな「ヤバそうなおじさん」はそのような雰囲気がどうしてもにじみ出てしまっているように感じます。サービス業の女性は、ある程度、そのような雰囲気を感じ取って警戒の脳内アラートを出しておられるのではと思っています。
前回、このような高齢男性の理解されない孤独感に言及しましたが、これは割と重要な要素だとも思っていて、「素敵なオジサマ」と「ヤバそうなおじさん」の間に存在する違いは、「周囲に人がいそうかどうか」という点ではと思っています。
「ヤバそうなおじさん」にご家族がおられても、どの程度の距離感なのかは、いろいろ考えさせられそうだとも思ってしまうのです。
完全な孤独に耐えられる人は、極めて稀でしょう。
孤独は辛い。
一方で、現代は孤独であることに徐々に順応しないともいけない社会でもあるとも思っています。
そんな社会背景が生み出したのが、テレビドラマ『孤独のグルメ』のヒットだったのではと思っています。
地味な設定が災いしたのか、子会社の共同テレビが企画したにも関わらず、フジテレビが、一笑に付したというのは、あまりに有名で、配信時代を見据え、テレビドラマに力を入れ始めたテレビ東京がこの企画を受け入れた。
時代の転換点が見えていた会社とそうでない会社の違いを象徴する出来事だったのでしょう。
時代の変化が変わるタイミングを見極めるのは大変難しい。成功体験が阻む最たるものではとも思っています。
ただ、「ボッチ飯」のような言葉に込められたネガティブを含有する現実よりも、「孤独でもグルメを楽しむ」方が時代にマッチしているのは、このコンテンツの大ヒットが証明したのではと思っています。
孤独でもいいんじゃないの?
とか
孤独の方がむしろ気楽でいいじゃないの?
という
雰囲気が出てくれば、不機嫌な人の数は減るのではと思っています。
なので、たとえ自業自得であったとしても、孤独であることに傷つき、他責思考にとらわれて「ヤバそうなおじさん」になっている方には、
「孤独でもいいじゃないですか。誰だって大なり小なり孤独ですよ」
という声が届くといいなと思っています。
これからの現代人の戦略は、矛盾するようですが、「孤独にならない」戦略と「孤独でも生きていける」戦略の二方面作戦が必要なのではと思っています。
そうすれば、孤独からくる不機嫌な人となるのを回避できるのではとも思っています。