どうして慶良間諸島の次が、読谷山村渡具知だったの?地図をみれば那覇の方が近いのに。
GTP-4に、こんな質問をしました。
それが今回のタイトルです。
この質問の一個前がこれです。
沖縄戦でアメリカ軍が慶良間諸島に上陸してからの、その後の進行ルートをおしえて
いろいろ云々、教えてくれたので。地図をみて。読谷とあったので。(ん?)と思いまして。今回のタイトルの質問をしました。
どうして慶良間諸島の次が、読谷山村渡具知だったの?地図をみれば那覇の方が近いのに。
するとこんなお返事が返ってきました。
慶良間諸島から読谷山村渡具知への進行ルートは、戦略的な観点から決定されました。当時、アメリカ軍は沖縄戦において日本軍の抵抗を最小限に抑えつつ、効率的に島を制圧する必要がありました。以下はその理由です:
戦略的位置: 慶良間諸島は、沖縄本島から離れているため、日本軍の主要な防衛ラインから外れていました。そのため、アメリカ軍はここから攻撃を開始し、沖縄本島への進撃を容易にすることができました。
航空基地の確保: 慶良間諸島は、航空基地を確保するための戦略的な位置にありました。アメリカ軍は航空支援を受けながら進撃するため、この地域を制圧することが重要でした。
敵の予測: アメリカ軍は日本軍の動きを予測し、最小の損失で制圧するために、読谷山村渡具知を選択しました。那覇市への直接的な進撃は、日本軍の防衛が厳しくなる可能性が高かったため避けられました。
総括すると、戦争においては戦略的な判断が優先され、地理的距離だけで進行ルートが決定されるわけではありません。
【追記 近くに飛行場があったんだってさ。】
そして思いました。(思ったてよ。)
こういう質問が浮かぶこと自体、平和な時代うまれのものだということに。
旅行じゃない。戦争だった。
けど、結果的に南部から攻められた方が(上陸された方が)、被害はあそこまでではなかったかもしれない。いや、これも後世の、タラればの話かとも思った。
起きた事実を俯瞰して視るには、あまりにも最近の出来事すぎる。だから現代社会や近代史は教えるのも、学ぶもの。むずかしい。
さいごにこんな質問をしました。
読谷山村渡具知の読み方は?
「読谷山村渡具知」は、よみたんざんそんとぐちと読みます。
どうもありがとう
どういたしまして!お手伝いできてうれしいです。何か他に質問があればお気軽にお聞きくださいね。😊
あ。絵文字つけるタイプなんだ。