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XYZまで。


 少し荷物の整理をしていたら昔の書いた文章が出てきました。
「へぇ」こういう事を書いていたのねと思っておいてください。
 お片付けをしていて処分しようとしたら出て来たので驚きました。

 それではどうぞ。(※少しだけ手直しあり。)



XYZまで。

2012.3.15(木)


 テレビドラマというのは不思議なもので。ただ流し見ていたにも関わらず、妙に引っ掛かる言葉をサラリと載せる節がある。
 私の中に今でも引っ掛かっている言葉は、嵐の相葉雅紀さんが出ていたバーテンダーというドラマの最終回での台詞。
 祖父を亡くし悲しみにくれる女性に、主人公のバーテンダーは『XYZ』という名前のカクテルを出す。このカクテルはアルファベットの最後の3文字『XYZ』が付いている事から、「これ以上無い究極のカクテル」という意味で名付けられた。そしてそのカクテルを差し出し、バーテンダーは彼女にこう語る。

「・・・でも、僕は思います。XYZは終わりなんかじゃない。終わりがあるから、人はまた新しい気持ちで前を向ける。だから、終わりは始まりなんです。深い悲しみに暮れる人に かけてあげられる言葉はありません。本当の悲しみの前で同情の言葉はあまりにも無力です。でも、グラスは語ります。『あなたの苦しみは知っている。あなたの孤独はわかっている。あなたは決して一人なんかじゃない。積み重ねてきた思い出を胸にあなたは必ず前を向ける』その始まりのグラスXYZです。」
 話を聞いていた女性はカクテルを一口飲み、祖父を思い出して涙をこぼす。そして再び、前を向いて歩く決意をするのだった。

 どうしてこの「XYZ」に引っ掛かるのか未だに分からないけど、私は違う解釈をしている。


 人は誰しも今の自分には満足せず、常に変わりたいと願う生き物だ。変わった自分と その未来を想像しては興奮し、今の自分の立ち位置を見ては落胆する。
 そしていつしか『変わりたい=変われない』となっていく。それは多分、未来の変わった自分だけを想像して、何一つ自分では行動していないからだ。(想像するだけってたのしーもんね。)しかし、では何か行動してみようと思ったとき。人は新しい何かを始めようとする。私はそうではないような気がする。新しい何かを始めるために、今現在途中までやっている何かを終わらせる事の方が先なんじゃないかと。XYZまでまっとうすれば、知らないうちにABCが始まっている。それは例えて言うならば読みかけの本、(…当時 やりかけていた色々なことを記載。恥ずかしいので伏せておきます。今現在あなたがやりかけのことを当てはめて読んでみてね。)
〜しかけの◯◯。〜について。やりかけの◯◯。etc。目まぐるしい日常にて、もうすでにABCがそこにある。

 『変わりたい=変われない』という気持ちを経験する前に(嘆く前に)、やるべき事もそこにある。それはXYZまでまっとうし、やり抜くことではないかと私は思う。




 いかがでしたか。「いかがでしたか」ときいてくる文章、読んでいるこちら側からすれば(知らないよ、きいてこないでよ)と思う派ですが。いかがでしたか。

 当時の己の主張より、相葉ちゃんのドラマすごくよかったなと思い出しました。あと、台詞内の主張の後、「私は違う解釈をしている」とあるけれど、違う解釈すぎるだろうと思ったりもします。

 いい台詞だな。(※ドラマの方のお話です)

 そしてこの投稿が私にとってのXYZなのかなと思い、それは、ABCなのかななんて思いましたとさ。


おわり



またあそぼうねえ〜ヽ(*´∀`)ノ♪


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