見出し画像

"TM NETWORK"とその仲間たち


 昨年、デビュー40周年を迎えた "TM NETWORK" に関する記事です。
 自分自身、「大ファン!」ってほどではないものの、80年代に10代を過ごした者としては、ひととおり通ってきたアーティストです。(そういう人多くないですか?)
 今回は、そんな距離感だった私にとっての "TM NETWORK" と、サポートメンバーさんたちのその後の活躍について note していきたいと思います。


+  +  +  +  +  +


■ TM NETWORK ■

 小室哲哉宇都宮隆木根尚登の3人による音楽ユニット。
 多摩地域をホームタウンにしていた"SPEEDWAY"を母体に結成され、1984年にメジャーデビューする。
 その後、1994年にプロジェクトを終了するが、1999年に再始動し、以降、断続的にライブツアーなどで活動を行っている。

SPEEDWAY「Captain America」1980

 3人がそろうことになった、多摩地域をホームタウンにしたロックバンドです。
 "TM NETWORK" のTMは、公式には "Time Machine" の略ですが、実はホームタウンの "TaMa" の略が真相らしいです。


◎ 80年代の "TM NETWORK" の軌跡

 80年代の後半、大人気だった "TM NETWORK" なんですが、デビュー初期は、派手な見た目とは違って、なかなかブレイクできなかったんですよね。

【デビュー初期】
1stシングル「金曜日のライオン」1984.4
●1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』1984.4
2ndシングル「1974」1984.7
3rdシングル「アクシデント」1985.5
●2ndアルバム『CHILDHOOD'S END』1985.6
4thシングル「DRAGON THE FESTIVAL」1985.7


「金曜日のライオン」1984.4

 作詞・作曲・編曲:小室哲哉
 1stシングル

 木根さんがキーボードやってますね。w
 イメージとしては、デュラン・デュラン的なニュー・ロマンティックな雰囲気に、当時のシンセポップを取り入れた感じです。
 ただ、曲名の「金曜日のライオン」というタイトルといい、デビューシングルやアルバムジャケットに使われたワニのマスクを被った写真とか…  何かトリッキーな印象なんですよね。


「1974 」1984.7

 作詞:西門加里/作曲・編曲:小室哲哉
 ※西門加里は小室みつ子の別名
 2ndシングル(『RAINBOW RAINBOW』からシングルカット)

 デビューアルバムからシングルカットされた2ndシングルです。
 当時は意識してませんでしたが、このMVは観てます~、雰囲気はELOっぽく、SFチックな感じで、けっこう好きな曲です。
 木根さんがギターを弾いてるので、少しずつユニットのイメージが出来ていってる頃なんでしょうね。


【ブレイクまで】
5thシングル「YOUR SONG」1985.11
6thシングル「Come on Let's Dance」1986.4
●3rdアルバム『GORILLA』1986.6
7thシングル「GIRL」1986.8
8thシングル「All-Right All-Night」1986.11
9thシングル「Self Control (方舟に曳かれて)」1987.2
●4thアルバム『Self Control』1987.2
10thシングル「Get Wild」1987.4
●BESTアルバム『Gift for Fanks』1987.7


「YOUR SONG」1985.11

 作詞・編曲:小室哲哉/作曲:小室哲哉・木根尚登
 5thシングル(『吸血鬼ハンターD』主題歌)

 アニメ作品の主題歌ですが、初のタイアップです。
 音的にもベースにグルーヴ感があって、ダンスミュージックっぽくなってきてますね。

 少しずつブレイクの兆しが見えつつあったのですが、ついに、その状況を変える出来事が起きます。
 それが、1986年1月にリリースされた渡辺美里さんの「My Revolution」のヒットです。
 このヒットのおかげで、作曲者だった小室哲哉さんが注目されてTM自体の認知も上がっていくんです。

    そんな時期にリリースされたシングルが…

「Come On Let's Dance」1986.4

 作詞・編曲:小室哲哉/作曲:小室哲哉・木根尚登
 6thシングル

 多分、自分が "TM NETWORK" をきちんと認識したのはこの曲だったと思います。
 それまでの電子楽器っぽい色合いが減って、ドラムやサックスなどの生音が増えて骨太になった感じです。
 ブレイクの兆しを見せ始めたこの時期の勝負曲だったと思うんですが、ようやくグループの音楽性も固まってきたと感じさせる一曲です。


「Self Control (方舟に曳かれて)」1987.2

 作詞: 小室みつ子/作曲・編曲:小室哲哉
 9thシングル

 前作から8ヶ月のスパンでリリースされた4thアルバム『Self Control』の頃になると、ラジオでもよく流れるようになったり、『夜のヒットスタジオ』に出演したり、雑誌でも取り上げられることが多くなって、いよいよブレイクしてきた印象でした。

『Self Control』1987.2

 4thアルバム


 ブレイクを決定づけたのは、もちろんアニメ『シティーハンター』のエンディングテーマに使われた「Get Wild」です。

「Get Wild」1987.4

 作詞: 小室みつ子/作曲・編曲:小室哲哉
 10thシングル(『シティーハンター』Eテーマ)


 今も『シティーハンター』が映像化されれば必ず「Get Wild」ですからね~、『シティーハンター』自体にもパワーがあったこともあるんですが、これは幸福な出会いだったと思うんですよね。

 さて、「Get Wild」で大ブレイクした後、タイムリーにリリースされたベストアルバム『Gift for Fanks』も大ヒットして、人気を確定的なものにします。

『Gift for Fanks』1987.7

 BESTアルバム


【ブレイク期】
11thシングル「KISS YOU 〜世界は宇宙と恋におちる〜」1987.10
●5thアルバム『humansystem』1987.11
12thシングル「RESISTANCE」1988.1
13thシングル「BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)」1988.3
14thシングル「SEVEN DAYS WAR」1988.7
15thシングル「COME ON EVERYBODY」1988.11
●6thアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』1988.12

 ブレイクを果たした後は、リリースするシングルやアルバムが軒並みヒットして、まさに絶頂期を迎えます。
 特に '88年は、「RESISTANCE」、「BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)」、「SEVEN DAYS WAR」のドラマや映画主題歌3連発でした。

「RESISTANCE」1988.1

 作詞: 小室みつ子/作曲・編曲:小室哲哉
 12thシングル(『RAINBOW RAINBOW』からシングルカット)
 ドラマ『痛快!ロックンロール通り』主題歌


「BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)」1988.3

 作詞: 小室みつ子/作曲・編曲:小室哲哉
 13thシングル
 映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」主題歌


「SEVEN DAYS WAR」1988.7

 作詞: 小室みつ子/作曲・編曲:小室哲哉
 14thシングル
    映画『ぼくらの七日間戦争』主題歌



 どの曲も話題になりましたが、この '88年には、さらにシングル「COME ON EVERYBODY」もリリースされます。

「COME ON EVERYBODY」1988.11

 作詞・作曲・編曲:小室哲哉
 15thシングル


 そして、この怒涛のシングルリリースの後に、'88年の掉尾を飾るアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』がリリースされるのです。

 このアルバムは、ある少女の冒険物語をモチーフにしたコンセプトアルバムになっていて、コンサートの方もミュージカル仕立てで行われたことが話題になりました。

『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』1988.12

 6thアルバム


 個人的な見解ですが、今、思うと、この大作アルバムが、小室哲哉さんの "TM NETWORK" での活動における集大成だった気がします。
 この後もセールス自体は好調でしたが、小室さんの興味は次のステージに向いてた感じなんですよね。
 90年代に入ると、avex でのプロデュース業が本格化し、1994年に "TM NETWORK" のプロジェクト終了が宣言されるのです。



◎ その仲間たちネットワーク

  "TM NETWORK" は変則的なユニットのため、ライブの際にはサポートするメンバーが必要となります。
 小室哲哉さんの作る音楽を再現するには、当然、高い技術が求められるため優秀なメンバーが集められてるんですよね。
 そんなサポートメンバーの中には、その後メジャーデビューした人たちもいるので、ネットワークの広がりを感じてください。


■ FENCE OF DEFENSE ■

 サポートメンバーをしていた北島健二(G)、西村麻聡(B)、山田わたる(D)によるロックバンド。
 1987年6月にメジャーデビュー。

 後で紹介する方に比べるとマイナーな存在なんですが、最も初期のころから "TM NETWORK" をサポートしていたのが、この "FENCE OF DEFENSE" の皆さんです。
 あの頃、ポストTMと言われてたのは "FENCE OF DEFENSE" なんですよね。 
 サウンド的にはより重厚な感じのロックなんですが、今も活動を続けている息の長いバンドなんです。


「フェイシア」1987.6

 作曲:西村麻聡/作詞・編曲:FENCE OF DEFENSE
 1stシングル


「SARA(セイラ)」1988.9

 作曲:西村麻聡/作詞・編曲:FENCE OF DEFENSE
 5thシングル(『シティーハンター2』主題歌)



■ B'z ■

 サポートメンバーだったギタリストの松本孝弘が、ボーカリストの稲葉浩志と組んだロックユニット。
 1988年9月にメジャーデビュー。

 "TM NETWORK" が絶頂期を迎えている頃にデビューしたのが "B'z" です。
 今でこそロックのイメージですが、デビュー初期は打ち込みのデジタルサウンドだったんですよね。


「だからその手を離して」1988.9

 作詞:稲葉浩志/作曲:松本孝弘/編曲:明石昌夫
 1stシングル

 記念すべきデビューシングルなんですが、デジタルサウンドに松本さんのギターが絡むわけですから、同じころの "TM NETWORK" と近いテイストなんです。


「BAD COMMUNICATION」1989.10

作詞:稲葉浩志/作曲:松本孝弘/編曲:松本・明石
※2ndシングル「君の中で踊りたい」と3rdシングル「LADY-GO-ROUND」 の間に位置するマキシシングル(富士通「FM TOWNS」CMソング)

 多分、多くの人が "B'z" を認知した初タイアップ曲です。
 ヒット曲に恵まれない中、いろんな音がサンプリングされていたり、ツェッペリンのギターリフなど、様々な要素がミックスされたハードなダンスビート曲で、現在の "B'z" につながる熱さがあります。
 その後、いろんなバージョンでセルフカバーされてますが、やはり最初のバージョンが最も熱いです。


「太陽のKomachi Angel」1990.6

作詞:稲葉浩志/作曲:松本孝弘/編曲:松本・明石
5thシングル(「カメリアダイヤモンド」CMソング)

 そして、初のオリコンチャート1位となったのが、5thシングルの「太陽のKomachi Angel」です。
 その後は、出すシングルが連続してオリコン1位となるなど、日本を代表するロックバンドとなっていくわけです。

 「太陽のKomachi Angel」の頃は、 "B'z" のライブがスゴい!ってことが話題になってたんですよね~
 デジタルサウンド的な色合いが減って、エモーショナルで骨太なロックに昇華していくんです。
 ある意味、"TM NETWORK" の絶頂期が "B'z" に移っていった印象だったのです。


■ access ■

 サポートメンバーだったキーボーディスト浅倉大介が、ボーカリストの貴水博之を迎えて発足した音楽ユニット。
 1992年7月にメジャーデビュー。

 最後は、最も "TM NETWORK" の… というか、小室哲哉さんの遺伝子を最も色濃く継いでいる浅倉大介さんのユニット "access" です。
 デビュー後、90年代の前半は、短いスパンで新曲が立て続けにリリースされるなど、人気のあったユニットです。
 1995年に活動休止しますが、2002年に再始動してからはコンスタントに新曲もリリースされています。

「NAKED DESIRE」1993.5

 作詞:貴水博之/作曲・編曲:浅倉大介
 3rdシングル


「MOONSHINE DANCE」1993.8

 作詞:貴水博之/作曲・編曲:浅倉大介
 4thシングル


■ T.M.Revolution ■

 "access" の活動休止の間、浅倉大介さんのプロデュースによる西川貴教さんのソロプロジェクトが "T.M.Revolution" です。
 頭にTMが付くのは "TM NETWORK" 由来かと思っていたら、"Takanori Makes Revolution"(貴教が革命を起こす)からだということです。w

「HIGH PRESSURE」1997.7

 作詞:井上秋緒/作曲・編曲:浅倉大介
 5thシングル


+  +  +  +  +  +


 私自身、そんなにハマってなかったとはいえ、80年代のミュージックシーンを語る上で "TM NETWORK" は避けて通れないんですよね。
 90年代のTKブームの後、小室哲哉さんのスキャンダル等は残念でしたが、様々な音楽実験とイメージ戦略など、ある意味、J-POPの世界を広げた先駆者であったことは間違いないと思うんですよね。

「Get Wild」

~TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days より


(関係note)