大丈夫。わたしはもう、十分にやさしい。
「大丈夫大丈夫。減るもんじゃないしっ!」
そう言うとたいてい、周りの人たちは笑ってくれる。
あぁよかった…
とか、思っているのかもしれない。
けれど私の心の中の何かは、確実にその質量を失っている。
周りの人が嫌な思いをしている状況が、たまらなく苦手である。
いじりの延長と言うべきか。いや、計算されつくしたいじめと言うべきか。
ちらりと視線をやると、当人はやっぱり嫌そうにしている。
どうしよう、どうにかできないかな。
でも、周りも頭が悪いやつばっかりで、そんなことには気づいていない。
私もばかだから、自分を犠牲にして、いじめの矛先をこちらに向けることしかできない。
もうわかっている。
その先にあるのは、地獄だということも。
頭の悪いやつに、新しいおもちゃをタダで与えているようなものだ。
しかも自分から差し出して。
目の前で壊される。
でも笑っていようとする。
踏みつぶされる。
うまいことを言う。
えぐられる。
むかつく。
…むかつく…けど、
何マジになってんの??とか、言われそうで。
ぶっ飛ばせる力があるのかも、わからなくて。
ものすごく、かっこわるくなりそうで。
そういうことをした後始末や、それをしょっていく勇気も覚悟も無くて。
最後は、原形が残らないくらいばらばらになったナニかを、
かつて自分が大事にしていたそれを、
何人も穢す資格などなかったはずのそれを、
自分もばかみたいに笑いながらぐちゃぐちゃにして、
やつらが帰った後に、一人でかき集めて涙する。
私の感情のコアの部分に、どんどん濃いもやがかかっていく。
そこに通じていたはずの太い回路が、知らない間にボロボロになって溶けてなくなっている。
きっと、かつては、
もっと繊細で、
やわらかくて、
人肌より少し、温かくて、
でも、
盾になりそうなほどの強さも持っていたはずの
私の、やさしさ。
それは今やあだとなり、
呪縛から抜け出せなくなっている。
「やさしいね」
と言われると、嫌な気分にはならない。
けれど、最近はどうも構えてしまう。
やさしさは私を苦しめている。
誰から見てもやさしいと思われるような自分であろうとする。
やさしくない自分を、嫌悪し、排除する。
そうなることが、正義だと思い込んでいる。
大事なものをかき集めていた時、
地面に染みていく涙の先に影が見えた。
視線を上げると、先ほどの集まりにいた人の一人だった。
「忘れ物。」
一言そう言って、渡されたのは見覚えのないハンカチ。
「やさしすぎるんだよ。」
そう言いながら、降り始めた雨を遮るように、どこからか傘を取り出して、私にだけさしてくれた。
いつまでも泣いている弱い私に何も言わず、傘をさし続けてくれていた。
夜にしては明るすぎる街のネオンが、傘についた水滴に反射して地面に色のついた光が伸びて揺れている。
いつまで泣いてるの、なんて言いながら、強くなった雨にかからないように、自分も傘の中に入ってしゃがみこんだ。
私が集めきれなかった雨に濡れた破片をもう片方の手で拾って、ズボンにこすりつけてきれいにして渡してくれた。
「あ、ごめ…」
「いい、大事なものなんでしょ。」
私が持つより大事そうに、そっと、渡してくれた。
雨足が強くなる。
めそめそしている私が落ち着くまで、ただ、待ってくれていた。
「そのままでいいんだよ。」
大きいとは言えない傘の中、ビニールに打ち付けるしずくの音が鳴りやまない二人だけの空間で、はっきりと聞こえた。
わたしは知っている。
さっきまでずっと雨に打たれていたあなたが、
その一言を言うだけのためにここにいてくれるあなたが、
いちばんやさしいということを。
わたしだけが、知っている。
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