形のない日常を、写真を通して形に残していくこと
みなさんこんにちは、ばんぺーゆです。
今日はわたしの趣味の一つである写真について書いてみようと思います。
ちょっとしたつぶやきです。
みなさんは、どんな時に写真を撮りますか?
友達と遊んだとき、きれいな景色を見たとき、料理がおいしそうだったとき等、様々なタイミングがあると思います。
わたしは高校1年生くらいの頃から写真を撮ることに興味を持ち始めました。
体育祭や文化祭、花火や紅葉などイベントごとに写真を撮ることももちろん好きで、よく撮っていたのですが、わたしはどちらかというと、日常のありふれた瞬間を写真に映し、残していくことが好きでした。
いつも歩いている街並みもカメラで切り取ることで、特別な一枚になるように感じていました。
人を撮るときもまた同じで、日常のいつも当たり前に友達と過ごす時間もカメラで切り取るだけで、形に残り、見返すといつでもその思い出が自分のそばにいるような、そんな感覚になります。
スマホ普及につき、また増えてきたカメラ人口
スマートフォンが普及してくると、手軽に簡単にきれいな写真が撮れるようになりました。
現在はiPhone16で撮った写真も、プロが撮るとほとんどカメラと差異がないように感じてしまうことがあるほどです。
私も高校2年生にミラーレス一眼を購入しましたが、いつでも持ち歩けるわけではないので、スマートフォンでもよく撮影をしています。
これはたぶん写真を撮る人あるあるなのですが、同じような写真を何枚も撮ってお気に入りの1枚を選んだりするので、カメラロールがすごい枚数になります。
私の現在のカメラロールには24,000枚の写真、2000本以上の動画があります。(そろそろ整理しなきゃな)
当たり前にそこに在り続けると錯覚してしまう日常に
写真を撮るのを忘れるくらい楽しい!なんてことも。もちろんあって良いのですが、個人的には今ここにある日常は、明日も明後日も当たり前にあり続けるわけではないということを忘れたくないなと思います。
ずっと残っていく気がしていたまちの風景も、気づいたら変わってしまいます。たった1~2年で変わってしまう風景もたくさんあります。
写真を撮っておけば、いつかなくなってしまう風景も、そこに在った証拠になる気がして、撮りたくなります。
これは人にも通ずることだと思います。
ずっといなくならない気がしている、当たり前にそばにいる家族や友人、パートナーは、いついなくなってしまうかわかりません。
会うたびに写真を撮る必要はないけれど、あなたにっとって大切なあの人と一緒に時間を過ごした形の残る記憶として、たまには一緒に写真を撮ってみてほしいです。
データでは形ではないかもしれませんが、過去に戻ることはできないので、しようと思えばいつでも形に残せる状態にあることが良いなと思うのです。
たとえすごく似ている構図の写真を撮ることはできても二度と同じ写真を撮ることができないように、二度と同じ思い出を、同じ相手とつくることはできません。
学生の時は運動会や遠足などイベントのたびに写真を撮っていても
おとなになると非日常が減り、日常が増え、一緒にいる時間が長ければ長いほど相手と過ごす日々が日常として溶けていきます。
家族や仲のいい友人であればあるほど、ふとカメラロールを見返したときに「あれ、全然一緒に映っている写真ないな」と思ったりします。
大切な思い出を思い出すきっかけになる
あなたが最後に家族写真を撮ったのはいつでしょうか?
「数週間前」「数か月前」「1年前」などいつとったか覚えているくらい最近であれば良いのですが、意識をしていないと数年撮っていないなんてこともあり得ます。
家族写真だって、兄弟写真だって、友達との写真だって何枚あっても良いのです。
もし最近一緒に写真を撮っていない大切な人がいれば、1枚撮ってみてください。
後悔はしないと思いますし、もしかするとあなたの撮ったその写真は、いつかあなたの支えになるかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
皆さん今日もお疲れ様です。
今日もあすもあなたらしく、良い一日をお過ごしください!