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母親の買ってきた服ばかりをきていた20歳までの私
みなさんこんにちは、ばんぺーゆです!
今日はまた過保護・過干渉にまつわるお話になります。
様々な過保護・過干渉のかたちがあると思うのですが、わたしが嫌だったなと思うことの一つに、服へのコンプレックスがありました。
それは母が、わたしの意見関係なくわたしの服を買ってきて、私が好みではないものも可愛いから、似合うからと着させます。
そして時に、母の組み合わせたコーディネートで写真を撮影して、その写真を私のSNSでUPさせるというものでした。
20歳を近くなっても実家のクローゼットの中は母が買ってくれた服がほとんどでした。
親として、可愛い我が娘に自分好みの服を着せたいとか、似合っている系統の服を着て欲しいとか、そういう気持ちがあるのはわかります。
自分の服を買うことよりも優先して娘の服を買ってきていた母のやさしさも感じています。
○自分で服を選ばなくなることへの弊害
ですがたまのプレゼントではなく、ショッピングモールで好みの服がある度に買ってくるうえ
私が好みの服を買おうとするたび「似合わない」と否定したり、
私が好きな組み合わせでコーディネートを組もうとするたび「ダサい、センスがない」と言われるのは、決して良い気分ではありませんでした。
そんな言葉をかけられ続けた私がどうなっていったかというと、だんだんと、「わたしはダサくてセンスがないから、自分で服を選ばないほうが良いのかな」と自分の来たい服を着れず、勝手に服を選ばれることを肯定していくようになります。
自分がなるべく傷つかないよう、このときの自分にとって楽な選択をとっていました。
○高校・大学生になっても自分で服が買えない
その後も好みの服をお店で見つけても、母にダサいと言われたらどうしようと母の顔がよぎり、レジに向かう足が止まってしまいます。だんだんと一人でアパレルショップにも行きたくなくなってしまいました。
周囲から見れば「おしゃれ」をしていたわたしは、どんどんとおしゃれをするのが嫌になっていきました。
また、周囲から「おしゃれだね」とか「その服似合ってるね」と褒められても、自分が褒められたようには思えず、
わたしはただの着せ替え人形のようなもので、わたしを着せ替えた母親が褒められているだけだなぁと思うようになっていきました。
そして褒められれば褒められるほど、母は実際センスが良くて、その母に否定されるわたし自身はダサいのだなと思うようになりました。
せめてもの抵抗のように、アクセサリーだけは自分で買い、自分で選んだものをつけていたのを覚えています。母に何か言われるのが嫌で、家を出てから身につけることもありました。
○ダサくてもいい
その後わたしが自分で服を選ぶようになる転機になったのは、大学4年生の夏に家出をしたことでした。
その時はまだ母が買った服ばかりでしたが、着まわししやすいような最低限の服だけを持って家を出た私は、好きな時に好きな組み合わせで手元にあった服を着ることができました。
おしゃれかどうかを気にせず、自分で選び、動きやすい格好をすることができたのは、
いままで母や周囲を気にして服を着ていたわたしにとって新鮮なことでした。
自分で服を選択し、身につけることで外に出かけることがより楽しくなるということにも気づきました。たとえ客観的にダサかったとしても、それをいきなり見下すように言ってくる友人や知人はいません。ましてや通りすがりの人が「あなたダサいね」なんて言ってくることもまずありません。
わたしはファッションモデルでなければ、アパレル店員でもないのです。
周りの評価ではなく、自分がこの服を着ていてテンションが上がるから着る。気分が良いから着る。
こんなに簡単なことにわたしが気づくのは20歳を過ぎてからでした。
なんならファッションモデルの方やアパレル店員の方だって、衣装ではない時は、できるだけ全員がおしゃれだなと思う服を着るよりも、自分が着たい服を着てた方がなんだかキラキラして見えるような気がします。
○家出を実家に戻ったわたしは
家出をした後、家族との関係修復のため実家に戻ったわたしですが、母とはずっと冷戦状態でした。
しばらく口をきくこともほぼなく、LINEでのやり取りのみの時期もありました。
家の中は空気が悪く居づらかったのですが、母と口をきかなくなったことで、今ある服の中で、自分の好きなコーディネートをして出かけるようになりました。
自分の好きな服を着て出かけるのは楽しいもんだなと改めて感じていました。
少しずつ、自分好みを服を自分で選び、買えるようにもなっていきました。
○はじめての達成感
大学の卒業式ではすべて自分で振袖を選び、ネイルチップを選び、好きな髪型にして、好きな髪飾りを選びました。
いまその時の写真を見返すと、どの写真も心から楽しんでいるように見えました。ふつうの人ができていたことだとしても、いままでの私ではありえなかったことができた達成感でいっぱいでした。
大学の卒業式は、長い学生生活を締めくくるとともに、親元を離れ、自立をすることで新しい自分になると覚悟を決めた1日でした。
○ひとつの目標
社会人になって一人暮らしを始めた私は、ひとつの目標を見つけます。
それは、住み始めたこの部屋のクローゼットを自分が買った服で埋めたいです。
もちろん母の買ってくれたすべての服が嫌だということはありません。
ですが当たり前に自分で服を買い、自分でクローゼットの中から服を選び、自分でコーディネートをして外に出るということをしてこなかった私にとって、自分で買った服でクローゼットが埋まるということは、
過保護・過干渉に育ち、”母の顔色を常に伺い、自立できずにいたわたし”から、一歩レベルアップできるような気がしました。
現在一人暮らしをするわたしは、好きなものを見つけた時には誰の目を気にすることなく、お財布とだけ相談をして、服を買い、ひとつずつ自分の部屋のクローゼットにしまっていきます。
着たいと思える母からもらった洋服たちはまだクローゼットの中にいますし、
もう私は着ないけれどきれいな服は、近くの物々交換ができるスペースにすべて寄付させていただきました。
(他の誰かが着てくれるかもと思うと、手放してしまったことへの罪悪感が少なくて、より一層気持ちが晴れました。寄付って、した側も心が救われ助けられるのだなと思いました。)
今では朝に準備をしながら、今日はどの服を着ようかなと頭の中で考え、クローゼットから取り出し、身につける瞬間がとても楽しくワクワクとした時間になりました。ちょっとテキトーな格好でもいいかなと思える日も出てきました。これはこれで良いのです。
数年前まで周囲から服装を褒められても、自分が褒められたようには思えず落ち込んでいた私ですが、
現在は自分が買い、身につけていた服や服装を褒められたときには、心から嬉しいと思うことができるようになりました。
引っ越してきてからしばらくはなるべく自分が買った服しか着ることができなかったのですが、
最近は母があの時買ってくれた服を着て、出かけることもできるようになりました。
なんだか前向きになってきたのか、たまに母が買ってきてくれた服を褒められた時も「この服が似合ってるのは母じゃない!わたしだ!だから褒められてうれしい!」なんて思えるようにもなってきたのです。
○最後に
殻を破れず狭いたまごのなかで息をしていた私はいま着実に、殻をすこしずつ、すこしずつ破りながら、新しい自分に生まれ変わることができるのかもしれません。今のはちょっと大袈裟ですが、自信がなく自立できていなかった頃から少しずつ成長できているのかなと思います。
みなさんもそれぞれ何かしらのコンプレックスを持っていますか?
もし持っていて、それを乗り越えることで自分に良い影響があるかもしれないのだとすれば、少しずつでも良いので行動に移してみて欲しいです。
様々な環境や状況があると思うので、無理にとは言いませんし、正直やってみないとわからないので不安や心配も大きいとは思います。
ですが、たとえ一歩でも、踏み出し行動に移すことができれば、あなたの世界がぐっと広がっていくかもしれません。
行動するか悩んだ時にふとこんなやつもいるなと思い出してくれると嬉しいです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
みなさん今日もお疲れ様です。
今日も明日も、あなたらしく良い1日をお過ごしください!