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small style|会社員の農ある暮らし。自然とともに生き、好きなことを詰め込んだ、やりたいことだらけの毎日。

林 寛人さん
福島県生まれ、滋賀県在住。農家をやっていた祖父母を見ながら育つ。社会人で関西に引っ越し、全く地縁のない中、仕事と家の往復の生活に疑問を抱き、会社員でも心地よい暮らしができないものかと、週末農業学校へ通い、農業関連のコミュニティに参加し始める。現在は、ライフワークかつ副業でもある「#前略、ひと手間をたしなみたい派です。」(略称:ひとたし)で、サラリーマンでもできる農ある暮らしを実践。さらには毎週末パンを焼いたり、ブラジリアン柔術をしたり、畑や田んぼのある毎日を楽しんでいる。
@hiroto0803



今の暮らし

平日は朝から夜まで、家電メーカーの研究員として勤務しています。毎日ではないですが、早朝に起きて畑作業や野菜の加工品などの手仕事、ひとたしのSNSのアップなどをしてから仕事に行くこともあります。夜も、週に2~3日は、子どもも連れて柔術の道場へ練習に行きます。柔術のキッズクラスのコーチもしています。

週末近くなると、パンの仕込みが入ってきますね。天然酵母を継いで4年目ですが、カンパーニュなど素朴な味のハード系のパンを作るのが好きで、家族の食べるパンを週末に焼く、これが僕のルーティンワーク。酵母種はぜったいに絶やしたくなくて、大切に育てている家族です。味噌や醤油などの調味料、シロップや発酵食品なんでもトライしていて、家の冷蔵庫は瓶だらけだし、気づいたらカルピスなどのジュースもふつふつと発酵しています(笑)

さらに、週末はファーマーズマーケットへの出店や”ノラノコ”という自然農法でお米作りするグループに参加しているので、やりたいことが多すぎてもっともっと時間が欲しいくらい。畑で採れた野菜でご飯を作ったり、友人におすそ分けしたり物々交換したり、幸せだなと思います。別に会社を辞めなくても豊かな暮らしはできるんだなと実感しています。

農家だった祖父

子どもの頃は、農家だった祖父の家で過ごすことが多く、曽祖父が手先が器用でわらじや蓑、背中当てや伝統工芸品を作っていたのも間近で見ていました。自分たちのお米や野菜は自分たちで作る生活で、大人になっても仕送りなどでお米を買うことがなく、今だに「お米を買う」という感覚が僕には違和感があるほど。でもそれは実は本当に貴重な豊かな経験だったのだと振りかえって感じています。

親たちは農家を継がなかったし、僕もちょっと手伝うくらいだったので、大人になった今、農業のことや加工品の作り方など、帰省の度に祖父母からいろいろ教えてもらっています。

工学部に入ったのに農業への想いがつのる

大学は、北海道の工学部へ入学したのですが、すぐそばに農学部の農場や牛や羊がいて、うらやましいなと思っていました。当時は柔道部に所属していたのですが、柔道はもちろん、キャンパス内にある柔道部代々伝わる畑で野菜作りにも熱中している自分がいました。

その後一年休学してニュージーランドで8か月過ごしましたのですが、NZといえば農業酪農の盛んなお国柄。あちこちで毎週末開かれるファーマーズマーケットでは、採れたての野菜で満載の農家さんのトラックがコミュニティにやってきて、そこに人々が集まり会話がはじまりつながっている光景が広がっていました。

そんな光景に自分自身がワクワクして、生き方や地域のつながり、農や食のありかたを見つけたような高揚感を感じている自分がいました。これらが今の僕を形作る原体験なのだと思います。

畑で育てているじゃがいもたち

サラリーマンでも豊かだと思える暮らしを模索して

卒業後、メーカーに就職し、すぐ結婚して、どこにでもあるサラリーマン生活が始まりました。当時は知り合いが会社の人しかおらず、家と会社との往復だけの毎日で疲弊していました。そんな中で妻の知り合いが週末農業学校をしてることを知り、農業を体系的に学びたい、仕事だけの生活から息抜きをしたいと思い通い始めました。

学んでいく中で食と野菜作りに熱中して、そこにかけられている手間を実感するようになりました。スーパーに当たり前に並ぶ食材も身の回りにある食材は実は全部誰かの手によって作られているのだと改めて実感しました。

誰かが作っているなら自分でも作れるはずと、コンニャクや甘酒を作るようになりました。すると「こんにゃくって作れるんですか?」と周囲が驚くし、お裾分けするととても喜んでくれましたね。発酵にもはまりパンも焼き始めました。これがまた凝り性な性格もあって奥が深いだけにどんどんのめり込んでいきました。

毎週末はパン屋さんの気分

物々交換で得られる価値

最初は自分の趣味と家族のためだったパンや野菜も、仲良くなった人たちに手土産に持っていき、人が笑顔になりそこに繋がりがゆるくできていくことが、とても心地いいと感じ始めました。物々交換ってすごく豊かになりますね、無機質に貨幣で等価交換する時よりも、その人の想いが感じられて温かみのあるやり取りが出来るから。

そして、食べ物を育てる、それでご飯を作る喜びを重ねる中で、モノが僕の手元に届く前、それは誰かのひと手間のお陰でできてるんだと日々の暮らしに感謝するようになりました。

同時に、仕事では利便性や効率性の追求の最前線にいるのですが、現代の便利さと急速に広がるデジタル生活の中で、手放してきたものが、実は大事にすべきことで今後途絶えてしまうのではないかと危機感が芽生えてきました。僕たち日本人が、長年自然と折り合いとつけながら作り上げた生活や食の在り方や知恵、まさに祖父たちと暮らしていたようなひと手間をかけた暮らしを取り戻したい、絶やさずに継続したいという気持ちが強くなりました。

今の形を生かして豊かに生きる方法

農への思いが強まる中、サラリーマン生活を辞めて農家でやっていくとどうなるだろう?そう考えた時期もありました。でも、幼い子供二人の将来を考えるとすぐ会社員をやめるわけにはいきません。夫婦でたくさん話し合って、現時点で僕たち家族は、畑もあって自然環境もある場所で、会社勤めしながら好きな暮らしができる働き方を実践することにしました。(会社には副業を申請して、開業届も出しました)

生活も仕事も180度変えなくても、今ある形を生かして豊かに生きることを日々やってみるということで、1年前に広い庭付きの中古の住宅を買いました。畑も1反ほど借りていて、共同で米作りにも携わっています。そして、同じように悩んでいる人にも参考にしてほしい、さらにコミュニティを広げていきたいとの思いで、「#前略、ひと手間をたしなみたい派です。」の活動をスタートしました。

畑や田んぼ、物々交換を続ける中で、僕たちが滋賀に来た当初欲しかった「友達以上親戚未満」のような頼れるコミュニティが、やっとできつつあります。土に触れ人とつながることで、その土地や地域とのつながりや愛着も、小さな種からゆっくりと熟成していくんだということを実感しています。まさに時間と共にパン生地が発酵するように。

畑には必ず裸足で入ります

リアルなつながりの大切さ

現代では核家族も増え、いろいろな課題がお金で解決できる世の中で、コミュニティの存在は大分弱くなってきています。でも、つらくなった時、何かの時に頼れるコミュニティがある生活っていうのはとても大事です。この前も、家族が風邪でダウンした時、友人たちがご飯を持ってきてくれたり、声をかけてくれたり、精神的に救われました。もちろんお金を払ってサービスで解決できることは素晴らしいのですが、心を支えてくれるは、やはりリアルな繋がりなんだと思います。だからこそ、その人それぞれに合った居場所があるといいなと思っているし、”ひとたし”で誰かの役に立てるコミュニティができたらなと思っています。


大切にしていること

『世界は誰かの手間でできている』
便利な世の中。お店には何でも揃い、欲しいと思ったらお金さえ払えばすぐにモノが手に入る時代。でも、そこにあるものは誰かの手間によって作り上げられたもの。毎日着る衣服も、生きる源になる料理や食材も、自分の住む家だって、誰かが手間をかけて作ってくれたから、それを買うことができる

『売っているものは、自分で作れる』
誰かが作っているのであれば、きっと自分でも作れるはず。作ってみることで初めて分かる価値がある。それはどれだけの手間がかかっているかということ。手間を知ることで、作り手への感謝が芽生えてくる

お気に入り

ノラノコ
耕さず、機械を使わず無農薬でのお米作りグループ。お米の作り方を一から体験できるのはもちろん、子どもも田んぼで遊んだり自然にどっぷりつかることができ、緩やかな人たちと一緒に過ごせる時間がとても好きです。

・自家製酵母で作る 毎日食べたいパンとおやつ
・日本の七十二候を楽しむ
・ベニシアの庭づくり
などなど季節感のある手仕事や伝統文化、自然を扱った本がいっぱい
蒟蒻芋
エキゾチックな芽と茎と葉、無骨な芋。1年ごとに大きくなって3年育ててようやく蒟蒻に使える大きさになる。その成長過程が全て面白く愛おしい。福島の祖父から種芋を受け継いで、滋賀の地で育てている大切な芋。

このシリーズでは、みんなの"small"なライフスタイルを紹介していきます


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