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【体験型の祈りのススメ】私は真に助けとなるためだけにここにいます【奇跡講座】
スピリチュアルな道を歩むにあたって、多くの人のつまずきのネタになるのが
「内なるガイダンスにしたがって歩むこと」をやろうとしたら、「無職にならざるを得ない(あるいは限りなくそれに近い)状況」に導かれてしまう場合があることです。
私自身も現在の仕事は半年後には辞めるよう導かれていて、そこから何をすればいいのかについては祈っているところです。(詳しくはこちら)
まだその先のインスピレーションはわかりません。無職になるようにガイドされたら、どうなってしまうんだろうと考えることがあります。
内なる声は、様々な方法で、こう語りかけてきます。
【ハートにしたがいなさい】
その内容は時として自我の抵抗としての恐怖を伴うこともありますが、ほとんどは行動することにより心の拡がりや喜び、安心感などを最終的に与えてくれます。
Stop, Ask, Listen, and Follow
立ち止まり、たずね、聞き従う。
この道を歩む中で、よく聞くのがこのフレーズです。
そのように続けていくことで、心は徐々に訓練され、癒やしが加速するので、そうするといいよ。
という聖なる指針として、私自身はとらえています。
そんな心の訓練を繰り返す中で、このようにガイドされるかもしれません。
【今の仕事をこれ以上続ける必要はありません】
転職、くらいならまだ平気ですが
ハートに従うことと経済活動とが両立出来ないことになると、大抵の場合めちゃくちゃ葛藤することになります。
自分で働いて定期的に給料を貰うなりしたほうが、自我においては精神的な負荷は軽いと言えます。
働いてお金をもらって明日を保証されて生きることは、ギブ・アンド・テイクという、自我のルールに則った「安全に見える」取引だからです。
自分は社会的に有用な存在であるという自認は、存在論的無価値感から目を逸らすのに、とても役に立つカモフラージュです。
自分で自分を養える能力があるという自負は、神に完全に人生を明け渡すことへの抵抗の現れでもあります。
【自分で稼ごうとするのではなく、神に養われることを学びましょう】
内なるこのような声を聞いたとき、
これまで通りに何食わぬ顔で働き続けるのは、さらに困難を極めます。
内なる声はだんだん大きくなり、
日常生活全体に響き渡るようになり、
無視できなくなり、
そして「わかりました! じゃあこの仕事はやめますが、どうやって食っていけばいいのか、あなたがどうにかしてくれなきゃ困りますよ!」と最終的にはやけくそみたいに聖霊に向けて答えることになるかもしれません。
霊的な学びが進むことはありがたいのに、これまでの生活スタイルを維持したままではいられなくなります。
それは、大きく集約すると「私は人間である」という「偽りのアイデンティティ」を突き崩す一歩です。
「神の国を第一にすること」を人生の目的とした場合、「社会人としてちゃんとしていて、自力でやっていける私」という自己概念は、その目的の妨げになります。
聖霊は私たちの癒やしのために、その自己概念やプライドを手放すように、やさしく働きかけてくれます。
ここでの問題は、聖霊は私たちにやさしいのに、自我は全然やさしくない、というところです。
自我の声を選んでいるうちは、私たちは自分をいじめることを選んでいることになります。
まず、無職初心者は無職であることが苦痛です。
それは自分の心の投影であるので、自分自身が無職に罪悪を見出さなければ、どんなに批判されようと痛くもかゆくもないでしょう。
でも、「働かないで養われるなんて、悪いことだ」という信念を抱えて、自我における「私」としてのアイデンティティーを採用している限り、この罪悪感は消えません。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか
なお、我らがJesusは石工の息子からフリーの救世主になりましたが、彼は職業的な定期収入を得ていたわけではありません。その弟子たちもほぼ無職と言えるでしょう。
初期の頃は教会もないので、修道士という肩書すらありません。社会的に見たら、単なる無職のヤバい集団です。
そんな彼らのエピソードが、二千年以上の時を超えて霊的規範とされていることを考えると、無職状態と神に従って生きることは、どうやら相性が良いように思います。(サレンダーしやすいしね!)
(↑寄付だけで製作されている、Jesus&仲間たちの生涯を描いたドラマThe Chosen。超オススメ!)
これまで奇跡講座を学ぶ中で、私はそういうコーリングに答えて職を辞したり、離婚したり、無一文になることを選んだ人たちのエピソードを、いくつも知っています。
そして、そういう物語は多くの場合、はじめの頃は周囲の理解を得られずに罵倒されて落ち込んだり、状況の奥に死への恐怖を予感し「自分はお金が無いと生きられない肉体存在にすぎない」という誤った自己概念を徹底的に見つめる、浄化のプロセスを伴うようです。
これはそのうち、心の癒やしに従って、問題として知覚されていたことが、「実はそうでもないのでは? むしろ何も問題はないのでは?」という
外側の状況に関わらず、心の安心・安全が揺るがない、という、やさしい知覚へと変容していくようです。
また、「様々な人たちや出来事を通して、奇跡的に養ってもらえるオモシロ展開」が現れたりします。
そして、ゆくゆくは、その人たちの存在そのものが世界へのかけがえのない祝福であると感じられるまでに、本人そして周囲の人々の心の浄化が進んでいくことになります。
そこまで行くと、何故かわからないけれどしあわせに生きている。というストーリーが展開されるようなのです。
霊的学習のカリキュラムは一人ずつ異なるので、すべての人がそのようなライフスタイルをガイドされるわけではないし、完全な無職というより、これまでの自分の常識とは違うやり方で収入を得ることが導かれることもありますが
「金銭」という強力な自己概念に全く触れずに霊的な学びが完了する人は、そうそういないことでしょう。
本気で真理を求め、自分とは誰か その正体を探し、愛とは何か知りたいと心の扉を叩き続けるならば、【すべてを受け取るためにすべてを捧げる】ことを学ぶ機会は、その祈りの度合いに応じて、それぞれにやってくることになります。
生きることそのものを神に捧げ
神の目的のために私の人生を使ってください
と本気で祈ったとき
それは様々な形で起こります。
私たちの本質は霊であり
ひとつであるので
受け取ることと与えることはまったく同じである
という、スピリチュアルなルールを
「知的な意味合いで知っている」段階から、「自分の生き方を通して本当の意味で理解する」ことへと、実際に導かれていくからです。
愛は「ギブ・アンド・テイク」ではありません。
受け取る者も、与える者も、一者であり
ギブとテイクは完全に同じ場所で起きます。
一者の心において、
捧げることによって、与えられる
という、Amazingな体験が、この道を歩む中で少しずつ増えていきます。
それは信頼の強化であり、私たちが単なる肉体存在ではなく、スピリチュアルな存在であることを思い出させてくれます。
それはそうと、私の仲間たちには実際に内なる呼びかけにしたがってそういう生き方をし始めた人たちがいて、彼らの存在を、本当にありがたいと私は感じています。
彼らの目的は、聖霊のコーリングに従って生きることを通して、【愛】を選ぶことにあります。
…
自分自身と神との関係のシンボルとして
すべての人間関係は現れています。
神に全てを与えることを決めて生きる人たちに
私たちが持っているものを渡すことは
私たちが持っているものを神に差し出すことと同じです。
ギブ・アンド・テイクの自我的なルールを超えて
私たちが心においてはひとつであることをわからせて欲しいという祈りなのです。
分離した肉体であるという自己概念を超えて、
本当の幸福を教えてくださいという祈りを、兄弟へのサポートという形で具体化したものと言えるかもしれません。
真に誰かの助けとなるために必要なのは、
私たちが分離した個別の肉体存在ではなく、心においてひとつである「スピリチュアルな存在」であることをわからせて欲しい、分離は存在せず、時間は存在せず、世界そのものが幻想であることを知りたい! という、本気の祈りのみです。
物理的に問題を解決することではありません。
しかし、神に仕える兄弟を具体的にサポートすることを通して、私たち自身の祈りを強化することが出来るとしたら、その機会は本当に得難いものだと言えます。
体験を通してハートが学ぶことは、知的なレベルでの理解に留まらない、密度も臨場感も比較にならない感覚です。
コミットすることで受け取るものは、圧倒的にリアルであり、疑問を差し挟む余地のない力強い体験として、私たち一人ひとりの浄化を後押ししてくれるからです。
そして私が求めているのは、その体験の積み重ねにより、「私は本当は誰であるか」ということについての、揺るぎない確信に至ることです。
それこそが、「私は真に助けとなるためだけにここにいます。」という、祈りの体現です。
私は、真に助けとなるためだけにここに在りたい、と感じています。
この祈りに、具体的に参加してみませんか。
体験を通して、私たちの祈りはきっと強化されると感じています。
私が参加している学習グループ【真我なるハート】のドネーション受付先はこちらです。↓
銀行:ゆうちょ銀行
支店:〇七八支店(ゼロナナハチ)
番号:2699990(普通)
名前 オオハシ ノリコ(大橋のり子)
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