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【lifestyle】母のすすめ
私の母は専業主婦だった
今と比べて私の世代は専業主婦の母親は多かったように思う
正規社員としてフルタイムの仕事はしていなかったが内職的な仕事やアルバイトはしていた
恐らく家に居ながら出来る仕事を求めてはじめたのだと思うが、当時まだ出始めだったパソコンで手書きの文章をコンピュータに入力する仕事を家でしていた
今と違って段ボール箱のような中古で買った大きなパソコンが家にはあった
私はいわゆる団地育ちであった
広くはない家の居間はテレビを見る場所であり、寝る場所でもあり、そして母親の仕事場でもあった
まだ幼かった私と3つ歳上の姉がテレビのチャンネルをめぐって喧嘩をしたり、遊んだりしている側で母はせっせとパソコンをしていた
納期が迫っているとかなり焦っていることもあったが、いつもご飯をつくって洗い物をして洗濯をしてくれていた
たぶんそれなりに忙しかったのかもしれないが、寝る前にはボール遊びをしたりしてくれたのが嬉しくて今でも覚えている
子どもと遊んでいる暇があったら早く仕事を終わらせたい気持ちだったと思うが、恐らく子どもが寝静まった後、仕事をしていたのだろう
小学生になるとサッカーに熱中していた私は朝から学校が始まる前に練習をするため早かった
それでも母は私よりも早く起きて朝ごはんをつくってくれた
父親はほとんど家事をしない人だったので母は専業主婦とはいえ大変だっただろうなと今になって実感する
父親は小学生くらいまでは休みの日には毎回一緒にサッカーをしてくれた
父親はサッカーが上手いわけではないがちょこまかと動き回る無尽蔵の子ども相手にふらふらになりながら相手をしてくれるのが嬉しかった
父親とは仲が悪いわけではないが成長するにつれて少し相談しにくくなってしまった
同性というのもあるかもしれないが男の子は大体そんなもんではないだろうか
息子もいずれはそうなるんだろうと思うと寂しい気持ちもするがそれは正常な心の成長だから受け止めようと思う
どちらかと言うと母親の方が話しやすかった
男の子は結局母親に甘えて育つものだと思う
母親の愛情が今の私をつくってくれた
そんなわけで、先日私の記事をnote村のこれでも母さんに紹介して頂いた
これでも母さんは、いつも優しいコメントを寄せてくれる私にとってnote内の母親的な方である
家のことでやることも沢山あるだろうし、お子さんのことや家族のこと沢山悩みもあると思うが、色々な方へひとつひとつ思いのこもったコメントをされているのを見るとすごいお母さんだなと思ってしまう
今の人は知らないかもしれないが、昔「母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた〜…♫」なんて曲があった
今どき”夜なべ”なんて言葉を使うことはないがその時代の母親の理想像みたいなものだったのかもしれない
夜なべなんてしなくてもいいし、買った手袋でも素敵な手袋はある
理想の母親像は時代によって変わるし人によっても違うし個性があって良いと思う
お母さんは日々進化している
調理家電を使ったり、便利な機械を使って自由な時間を増やして、やりたい事に取り組むのだって良いと思う
でも、子どもにとって母親の愛情は心の拠り所であることは今も昔も変わらない
もう、これでも母さんの「これでも」は要らないような「素敵な」母さんである
素敵な記事を書いてくださりありがとうございました
また、いつも読んでくれている方、スキをしてくださる方、コメントをくださる方、本当にありがとうございます
母さんのコメント欄では、隠れて読んでくださっている方がいてくれたことを知りました
今まで通り隠れ見でも嬉しいですが、noteを通じてお喋りできたら更に嬉しいです
建築家というとコムズカシイことを言うイメージがあると思います
私は建築家はコムズカシイくらいが良いと思っています
コムズカシイくてメンドクサイことを考えているのが建築家なのかもしれません
でも建築家がメンドクサイことを考えなくなったらそれはそれでつまらない建築ばかりになってしまうようにも思うのです
建築家がどんなメンドクサイことを考えて建築をつくっているのか…
私なりの更にメンドクサイ視点を通して伝えることで、建築、街、都市、地球について少しでも興味を持ってもらえる事を目標にしています