ポルトガル語って、やっぱムズいね...!
この漫画 ⇓ の場合、和訳は
「Ficar Sozinho【フィカール・ソズィーニュ】」は、
「一人でいる」、
「Estar sozinho【エスタール・ソズィーニュ】」は
「一人(ぼっち)になる」
といったところでしょうか…。
ところが辞書に頼ると、
「Ficar Sozinho」の方が
「一人(ぼっち)になる」で、
「Estar sozinho」の方が
「一人でいる」と、
逆になってしまいがちなのです…!
というのも、
「ficar」という動詞は
「滞在する」、「そのままの状態でい続ける」といった、
いわば英語の「stay」に匹敵する第一語義の他に
「(~な状態)になる」という語義もあるのですが、
一方の「estar」動詞はというと、
「~な状態である」、「~な状態でいる」
というのが主な語義で、
少なくとも「~になる」という和訳は
当てはまらないのです。
なのに、なのに...、
いざ和訳するとなると、
「Ficar Sozinho」が「一人でいる」、
「Estar sozinho」が「一人(ぼっち)になる」
…だと思うのです…。
だって、
漫画に当てはめて見ると、
逆だとおかしいですもんね…!👀 www
***
とはいえ、実は私自身、
この漫画を見たとき一瞬、
「あれっ? 大勢の中で独りぼっちになっている方が
『ficar sozinho』なのでは?」
と思ってしまったのです。
…というのも、
「ficar」動詞が「○○になる」という意味で用いられる場合、
「結果的に○○になる」といった意味で使われることが
多いからです。
一方、
小さい方のコマも
「Ficar sozinho」ではなく、「estar sozinho」に置き換えても
単純に「一人でいる」という意味になりますから
一瞬、
「んっ?!台詞が間違ってる?」
とも思ってしまったのですが、
「いや、最初に読んだ限りでは違和感も感じなかったし、
作者さんに何か意図があるんだろうナ」
と思い直して
日本語に訳しつつ思いを巡らせてみた結果、
「そうか!」
と気付いたのは、
ここで作者さんが意識したのは
「いる」とか「なる」とか以前に
「Ficar」動詞には
黒ひつじさんの「意思」が垣間見られるのに対して
「estar」にはそれがないため、
「estar sozinho」は
単純に「独りぼっち」であることを表現しているのです。
要は、
「Ficar sozinho」という文の場合、
第一語義である英語の「stay」と見立てて
「その場所に独りきりで居続ける」
という意味と、
第二語義である「○○になる」に準えて
「(結果として)独りきりになる(なってしまう)」
または
「(自らの意思で)独りきりになる」
という意味&ニュアンスがあり得る
ということになります。
つまり
「結果的に○○になる」という語義があるせいで
私は当初とっさに
大勢の中で独りぼっちになっている大きいコマの方が
『ficar sozinho』なのではないかと
思ってしまったわけですし、
作者としては
どちらも「Ficar sozinho」ではつまらない
とでも思って、
「estar sozinho」にすることにしたのでしょうかね…。
***
それにしても
辞書に
「(自らの意思で)○○ になる」
という語義が載っていない辺りが
ポルトガル学習者には
さぞかしネックになるだろうな…
と思った一件でした。
本日もお読み頂き、まことにありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?