電車にて
「週刊文春」と「週刊新潮」が
電車の中吊り広告をやめるという。
車中ではうつむいて、スマホ画面を
覗き込んでいる人が大半、
中吊り広告の効果はやはり期待薄だろう。
今週の木曜の出勤日、通勤電車で
しげしぜと中吊り広告を
確認してみた。
通勤生活30余年だが
意識して広告板を見たことは
これまでなかった。
すると、驚いた。
車内の天井脇の左右両サイドにあった
広告スペースは全て、
液晶ディスプレイのゾーンに。
広告の動画がうごめいていた。
これに驚くのは
僕だけなのかもしれない。自分に呆れた。
在宅勤務が多くなったせいか、
通勤電車との心の距離が
大きくなってしまった気がする。
かつては、車中での読書の合間に、
周囲の人の様子を伺ったりしていた。
ある冬の金曜夜、揺れる電車。
2人席で、静かに居眠りするカップル。
20代だろう、デートの帰りか、
お揃いの白いセーター姿。
彼に寄り添う彼女の、
長い髪が揺れている。
膝下で手をかたく結び合った姿が
何とも微笑ましかった。
小さな話だが
こんなこともあった。
木曜の夜、帰路の車中、
おそらく20代であろう女性が
乳母車を傍らに置き、
うとうとしていた。
頭が何度も前に倒れかかる。
赤ちゃんのお世話で、
かなりお疲れの様子。
僕が「ご苦労さま」と思っていると
乳母車の中の、柔らかく澄んだ瞳が
僕の方に向いている。
ドキッとしながら、
僕は微笑み返し。
最高の癒やしを拝受した。
いずれも、マスクをする前の時代のこと。
車中での様々な光景。
酔っ払ってフラフラな若者、
悲しみに昏れる女性、
思い出し笑いするご高齢者、
スマホゲームにふける人、
本の中を旅する人。
決して凝視するでなく
さり気なくちら見して、
人生模様を想像する。
我を顧みれば、
仕事帰りの夜遅い満員電車で、
電車の窓に映る自分を発見。
何ともしょぼくれた、
しがない様相、表情に呆れる。
そして、元気出せよと、
はにかみ、静かに微笑む。
心のほころびをつくろう場所だった。
今、思えば、
そんな電車の中が好きだった。
30余年の通勤生活が、
人生の一部になっていた。
「週刊文春」と「週刊新潮」が
電車の中吊り広告をやめる。
このニュースがきっかけ、
心のなかの電車旅、
ガタンゴトンと揺れる。
思いひそめ、自分を顧みるなら
電車の中もいい。
垂れ流しの無声動画が流れる空間でも
マスクをした見ず知らずの人たちに
何かを感じ得られるのなら、
電車の中は、
都会のオアシスなのかもしれない。
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