熱狂、文字削りの執筆
時折、専門誌や業界紙に
原稿を依頼されることがある。
勿論、文字制限があり、
600〜900文字程度が多い。
例えば600文字の場合、
500文字の原稿を提出しては
やる気のなさを示すようで
編集者の方に失礼。
また、コラム枠の箱の末尾に
ぽっこり出来る隙間が寂しい。
この場合、600文字ジャストで
提出するのが僕の流儀。
598文字でも599文字でも駄目。
よくある手法とは思うが、
作成の過程で、
まずは1000文字程度の原稿を
ざっくりと書く。
そこから400文字を落としていくのだが、
350文字くらいは、さほど難なく削れる。
つまり650文字の原稿は
長い時間を要さなくても出来上がる。
この状態は僕にとっては
大いなる未完成作品。
ここからが真剣勝負。
あと50文字、どこをどう削るか。
ここでようやく
手に汗握る格闘が始まる。
没頭して、ピアノのBGMは
全く耳に、意識に届いていない。
ひと文字削るごとに、完成形に近づく。
どういうふうに、ゴールを切るか。
ワクワク、ヒリヒリの時間だ。
文章の全体を俯瞰してみる。
そして段落ごとの詳細、
一文の長さや、文末の止め方、
リズムなどを意識しだす。
「勿体ないけど削るか」
「この節は気に入ってたけど、さよなら」
など心で懺悔しながら、
熱狂の舞台でひとり芝居は続く。
濁りや装飾を取り除き、
焦点を絞り、
伝えたかった実像を
浮き上がらせる時間。
そして何といっても
締めの言葉、余韻をどうするか。
この格闘が僕は好きだ。
こんな快感はそうない。
ところで、
ノンフィクション作家の野地秩嘉氏の
著書「高倉健インタヴューズ」に
大変興味深いエピソードがある。
1994年の映画「四十七人の刺客」で
主演の高倉健さんは、名匠市川崑監督に、
これから健さんが監督をやるとしたら、
一番大切なことは何かを訊いた。
市川監督は、
「自分自身が長く見たいシーンを
バッサリと切ること」と言った。
「自分の気に入ったシーンばかりを
長々と映したら、観客に自己陶酔を
見せつけることになる」と。
なる程、我が意を得たり。
あれも見せたい、これも見せたいと
沢山盛り付けるものの、
結局は冗長的になる。
自分が良くても人がどう見るか。
どう読むか。
誰のための文章か。
いかに客観的に捉えられるか。
飾りや気取り、背伸びを
いかに削ぐか。
これは、人付き合いとか
意思の伝達とか、諸々にも
当てはまることかもしれない。
拙い文であるが
期待されている以上は
書き続ける。
己の乱れを削ぎ落としながら。