何とかやっている人への最強の言葉〜手帳の佇まい(32)
先日、ある新聞の編集長が
僕との雑談のなかで、
「私達は経験上、知ってるよね。
何とかなることを」と言った。
僕より少し上の60歳である彼女は
自らを鼓舞しているようでもあった。
どんな話の流れだったかは覚えていない。
世間話、僕らの世代のしがらみ、
そんな内容だったと思う。
彼女の言う通りなのだ。
半世紀以上生きてきて、
それなりの修羅場があった。
それとて、自分の解釈なのだが、
しんどい思いがあったわけで、
その時々、何とか食らいついて
自分なりに出来ることを尽くして、
時を過ごした。時を追いかけた。
そして今がある。
勿論、もっと出来たかもしれない。
真面目一辺倒を貫けたわけではない。
手抜きもあったし、人のせいにもした。
でも、常識の範囲で、何とか生きてきた。
そして、何とかなってきた。
「どうにでもなる」「どうにかなる」
と人は言う。「なるようになる」
「なるようにしかならない」とも。
そのうえで、僕は自堕落ばかりでもなく、
35年のビジネス人生を
沢山の方々の力をお借りして、
不器用ながら、
何とかここまでやってきた。
この手帳、knoxbrainがそれを知っている。
もう30年の付き合いだから。
この皺のひとつひとつ、
そして光沢の輝きが
我が人生の軌跡を浮き彫りにする。
僕はその編集長に返した。
「そうですね。
僕らは、困難を乗り越えた後の、
安堵感や清々しさも知ってる。」
彼女は大きく頷きながら
「何でも楽しまなきゃ、損だって」。
いつの間にか僕は慰められていた。
僕は愚痴でもこぼしていたのか。
いずれにしても、良き言葉を拝受した。
これは天の言葉かもしれない。
そしてこの手帳との出会いも
天啓かもしれない。僕を支えてくれた。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
今回もお読み下さり、
ありがとうございます。
これからも「何とかしていきます!!」