珈琲と淑気満つ朝
誰しも珈琲体験の初めは
幼年期のコーヒー牛乳。
そんなふうに僕は
勝手に決め込んでいる。
一方、ブラック珈琲を
飲み始めるきっかけは
人それぞれであると。
僕の父は珈琲に
砂糖とミルクを入れていた。
僕がブラックを飲み始めたのは
大学生の頃アルバイトしていた
学習塾の講師陣の影響。
あれは二十歳のときだ。
相模原の小さな塾で
講師は僕を入れて5人、
僕以外は社員さん。
そして皆さん決まって
珈琲はブラックだった。
大人の仲間入りをしたかったのだろう、
僕もブラック珈琲に挑んだのだ。
あれから三十余年、ブラック。
でも最近は寄る年波か
粉末のミルク(クリープ)を
入れることも多くなった。
今年も小寒を迎え、松も過ぎた。
例年の如くこの連休は早朝の台所で
ひとりコツコツ珈琲を淹れている。
ヒーターや換気扇のスイッチはOFF、
ドリップ音を聴き逃す手はない。
雑念や邪念を振り払う、まるで座禅。
先々への思いを無に帰し
珈琲の粉の膨らみに瞠目。
そして、珈琲のゆったりと滴る音だけに
耳を澄ませる。
どこか清らかで厳かな気持ちになり
いちるの希望が芽生える。
心の中に、朝日がのぼる。
もう何年こうして珈琲を淹れながら
この1月の朝を過ごしてきただろう。
そしてあと何回迎えられるか。
そう、今日は成人の日。
「珈琲の滴る音や淑気の朝」弥七