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今、この時代に生きた証、手書きの跡。~手帳の佇まい44

僕は長い話は好きではない…。

先週発行のある業界紙に僕は手帳に関するコラムを書いた。
それを読んでくださった数人の方々からメールが届いた。
大半の人が同じ趣旨だった。

「実は今度の土日(11月9日と10日)、
来年用の手帳を買いに行こうと
思っていたのですよ」

今日と明日、文具店は、
書き入れ時のはずだ。きっと。

ところで木曜の夜、親子ほど歳の離れた20代の提携先社員とサシで飲んだ。
その宴でも手帳の話になった。
というか、僕がそうした。

彼は手帳を使ったことがないという。
こことぞばかり、僕は、
手帳をつかうならシステム手帳だと
その理由や魅力を説明し出した。
きっと短時間で。いや少し長かったかも。

僕は長い話は好きではない…。

37年前に社会人になった頃から 
僕はシステム手帳派。
30歳前後の4年間を除いては。
あの頃だけ綴じ手帳。
それは営業担当だったからだ。
時間に終われ、手帳タイムなどなし。
とにかく野獣のように数字だけを
追い続けていた。
綴じ手帳にその日の行き先だけを
雑に書きなぐっていた。

要は職種や役割によって、
手帳の種類は違ってくるだろうし、
そもそも手帳を使うかも、
それぞれの価値観や、
使い勝手の感覚によるものだ。
営業職だからこそ、
システム手帳だろうという意見も
あると思う。

そんなことを、きっと、手短に話した。
僕は長い話は好きではない…。

それを受け、20代の彼は呟いた。
「日々の記録を手書きで残すのって、
大事ですよね」

いいことを言った彼に僕は
心の中で、ピンポーンと言った。

そうなのだ。
手書きで書いた手帳や日記は、
いつの日か歴史になる。
仕事の日誌として残り、
それが勤めている会社の社史に、
携わっている業界史のパーツになる。
個人の手帳の中身が、自分史に、
家族の歴史に、家系史にも。

勿論、路傍の石で終わるかも。
この宇宙で、今、
こうして生きている証。
僕が存在していた足跡。

これがデジタルの記録だと
そういう気がしない。
デジタルは広範に即時に伝えたり、
大量に残すには、もってこいだが、
場合によっては、無に帰す。
誰にも知られず宇宙空間に消えゆく。

手書きは足跡。
その人の性格や想いを反映する。
その紙と共に手触りがある。
有形であり実在感がしっかりとある。

僕が死んだら、
家族は僕の手帳を開けば、
僕が考えていたこと、
やったきたこと、やれなかったことが
よく判るのだ。
手帳こそが、持ち主の
ほぼ全キャラクターが判る場所。

そして、本革の手帳の表紙、バインダーには、持ち主の生きた軌跡が刻まれている。歩んでいた時代の空気が染み込んでいる、そんな光沢がある。

諸々瑠々、僕は彼に話した。
このての話を長々聞かされるのは
苦痛だろう、そう意識しながら。
僕は長い話は好きではない…。

寒さが増して冬の入口を感じる夜、
熱燗がすこぶる沁みて、
この話題の後も、彼との話は弾んだ。

翌日の早朝、彼からメールが届いた。
「今日は午前で仕事が終わるので、
午後は銀座の伊東屋さんに行き、
手帳を買いに行きます。
今からワクワクです」。

長い話と熱燗が効いたようだ。

今日もお読みくださり
ありがとうございました。
心も身体も温かくして
良い一日を!!

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