一杯の珈琲のゆとり、「お安い御用で!」
土曜早朝の珈琲。
台所でひとり、淹れる。
そう言えば、最近、ドタバタしていて
ワンパックの即席フィルターの珈琲を
飲んでいたな。
珈琲豆を丁寧に挽いて
ペーパードリップでゆっくり淹れる。
「こういう心のゆとりがないと
仕事もプライベートも上手くいかない」
それが、信条だったのにな。
そんなことを考えながら、
沸騰したお湯を珈琲ポットに移し、
先程挽いた豆をペーパーに入れる。
いざ、ドリップ!
ところで。
気のせいだろうか、
最近、親切にされることが多い。
例えば、クルマの運転中、
相対した運転手の方に
道を譲ってもらう、
エレベーターから降りる際、
右手前のボタン前に立った人に
「お先にどうぞ」と手振りを頂く。
その他にも、せっかちな僕に
時間と空間を譲って頂くことが
多くなったと感じている。
やはり気のせいだろうか。
感染拡大が危機的状況となり
その分、助け合いの精神が助長され、
人の心が優しくなったのか。
それとも僕の住む街は高齢者が多く、
元々存在していた親切に、
これまで気付かなかったのか。
こう感じている時点で
僕は自戒する。
そこには、親切にされるばかりで
親切にしていない自分がいる。
もしかしたら、
もう、二度と会うことのない人、
互いに全くのストレンジャー。
そういう間柄で、親切にしてくれる人。
その誰もが「精神年齢と人格のレベル」
が僕より高いお方だと敬服し、
憧憬すら抱く。
だから、僕は決める。
親切にして頂いたお礼と償いに
人並みかそれ以上に、
誰にでも心を配ろう、
時間と空間と心を譲ろうと。
実はこれで、
お金で買えない幸福感が手に入る。
例え、ありがとうの言葉がなくても良い。
心のなかで「お安い御用!」とすれば、
「精神年齢と人格のレベル」、
つまりは我が魂が磨かれる。
「心のゆとりがないと
仕事もプライベートも上手くいかない」
なんだ、結局、自分のためか?
そうです「情けは人の為ならず」。
良いのです。人と自分の為になれば、
こんなに良いことはないのだから。
そう考えると、
なんかワクワクしてくる。
生きているだけで、
常に幸福感が獲られる。
この珈琲の芳醇なかおりがいざなう、
心に掲げる「お安い御用で!」
いい感じで、
ドリップが仕上がってきた。
さあ、今日もツイてる!!
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