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間質性肺炎と事業承継を考える・2
夏の終わりの状態悪化とカニューレ装着
父の間質性肺炎について去年を振り返っています。たった1年前というのが信じられないくらいにどんどん変化していますね。
父は息苦しさから8月中旬に病院に行きましたが本人としてはちょっと診てもらうつもりだったようです。そのまま半月ほど入院することになりました。
この時は以前と違い面会不可になっていて母が毎日毎日電話で指示された大荷物を届けていました。
前回は個室でしたが今回は大部屋でした。面会出来なかったこともあり、私の記憶はすでにあいまいになっています。仕事については電話で普通にやり取りしていました。
カニューレ装着と酸素供給について
退院時に変化したことはカニューレ装着です。父はあんなみっともない姿はしたくないと言っていましたが、家に帰りたいのと息苦しさからカニューレ装着をやっと受け入れました。
それでもはじめは障がい者になるのは情け無いとか言っていて、偏見に満ちた物言いに私は思わずブチ切れてしまったりもしましたね。
無頓着に動くので最初の頃はカニューレの管に絡まってしょっちゅう怒っていましたね。半年経つと動きそのものが緩慢になり、そんなこともなくなってきました。
カニューレは携帯用と据え置き用と二つ使用します。携帯用はどんどん酸素ボンベを消費するので生きている経費を払っているような感覚になり考えさせられますね。
酸素ボンベからの酸素吸入
福祉関係の事業はなかなか経営が難しいと聞きますが、酸素ボンベの供給は経営としてはこれから更に需要があるように見えました。
父は携帯用の酸素ボンベでお出かけする知人を知っているようでしたが、父はおそらくその方よりは程度が悪く、酸素ボンベは減りが速くて経費を考えると通院以外の使用は考えられませんでした。
・据え置き型の酸素供給器について
据え置き型の酸素供給器は40Kgもあります。実家は五階建てで1階がお店、4階が住宅、2、3階はステップフロアになっていて金網保管や物置に使っていました。
というわけで毎日ホームエレベーターで酸素供給器を移動させる日々になったのですが、母が運ぶことになり腰を痛めました。
ちょっとした段差は片輪ずつ持ち上げないとならないのです。腰から動かず腕力でやろうとするとあっという間に腰にきます。
最初のうちは父が自分で移動させていましたが、ホームエレベーターの隙間に電気コードを挟んでしまい、エレベーター内に閉じ込められてしまう事故が起こりました。
エレベーター内で扉が開かず動かず酸素ボンベを消費していく恐怖を味わってからは母が機器を運ぶことになったのです。
家の中で毎日酸素供給器をエレベーターで移動させるというのはたぶん想定していないことなんじゃないかと思います。
階段だけだったら仕事場に毎日行くことは出来なかっただろうけど、そもそも五階建てにはしなかったかもしれません。二階建てなら酸素供給器は据え置きで生活出来るのだろうと思います。
リハビリの考え方
酸素吸入のおかげで自宅に戻れ、カニューレの管と格闘しながらもより事態が良くなることを父は信じていました。鍛えればいつか治ると考えていたようです。
内臓は鍛えられないこと、関節や筋肉の動きが良くなると内臓の働きを助けることを何度も説明しましたが、なかなか腑に落ちないようでした。
また、管に繋がれていると動く意欲が減るようです。不用意に動くとすぐに引っかかったり、絡まったりして怒ってばかりいました。
座りっぱなしが増えてくると今度は体のあちこちが凝って痛くなってきます。
歩いたり立ったりがしんどくなると生活動作が極端に減っていきます。
生活動作が減った分、トレーニング、リハビリの動作を増やす必要がありますが、スポーツマンだった父には、それらは取るに足りない動作であり、積極的に取り組む気にはなかなかなれないようでした。
苦しくてもがんばる!というのがトレーニングに対する意識で、疲れない動作をゆっくり繰り返すというリハビリの持続に対するモチベーションが保てず、無理をするか動かないで凝るかの二択になりがちでした。
これが夏から秋の状態です。
季節が冬になり生きものは寒さが大敵だと思い知らされることになりました。
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