無駄なことを続ける意味がわかったかもしれない
少し前にこんなことを書いた。
簡単に言うと、高校の時、全く上手くならないし早く辞めたかった野球を渋々3年間続けたのだけれど、それに何の意味があったのか未だにわからない、というか多分意味無かったんじゃないかというような内容だ。
これに関して最近ふと思ったことがある。
それは「成果が見えることの喜びを人一倍感じることができるようになっているのでは。」ということだ。例えば、受験勉強とか今の仕事とか資格勉強とか。野球に比べたら仕事や勉強の方が時間をかけたり準備をしたりそれなりの頑張りはわかりやすく成果として出るのである。
最近思い出したようにTOEICの勉強を始めたのだか、昔よくわからなかったところがわかるようになったり、勉強した分単純に点が上がりだしたり、正直なかなか面白い。
30歳を過ぎて勉強へのモチベーションが保てることは幸せなのかもしれない。
というわけで本日より、無駄と思えた部活を続けた意味はあった、ということとする。とはいえ、これは私にとっての結果論であり、他人に「だから無駄とわかっても続けた方が良いんだ」とは絶対に言えないのだけれど。自分自身を納得させることが出来たらそれで良しとしましょう。
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