ルックバックで感動できないやつ

チェンソーマンの藤本タツキ原作の漫画「ルックバック」が、先日劇場版になって公開された。
僕はまだ観に行っていないが高評価を得ているらしい。原作の完成度を鑑みれば当然である。
公開されてからそこそこ時間が経ったが、まだTwitterでは鑑賞の余韻を噛みしめる感想が流れてくる。
それだけ人々に刺さる良作品ということだ。漫画としてもとても良かったので、映画も観に行きたいものだ。

とは言うものの、僕がルックバックの映画を見たところで、おそらくほとんど感動しないだろう。
なぜなら僕は非創作者であり「『ルックバック』で感動できないやつ」なのである
(詳細は冒頭リンク先記事参照)。

そんな「感動できないやつ」本人にとって気になる言論を、先日これまたTwitterで見かけた。
曰く
「『ルックバック』で感動できないやつは何かに真剣に打ち込んで挫折した経験がないやつ」
であるという。

僕は「『ルックバック』で感動できないやつ」だが「何かに真剣に打ち込んで挫折した経験」がある。
だから、この言論は偽だなと即座に判断した。
真剣に打ち込んで挫折したことがあると言えるのは、冬の夜に言問橋から見下ろす隅田川があんなに黒いことと、橋の欄干というのが思ったよりも低くて簡単に乗り越えられることを、知っているからである。

なにはともあれ、取るに足らない言論ということで、はいおしまい、としてしまってもよかったのだが、そうはいかなかった。
と言うのも、何かこの言論の発信者には、僕のような非創作者を軽蔑しマウントしたい欲求があったように思えてしまって、そして、純然たる非創作者の僕にとってはそれが結構な屈辱であるために、色々と考え込んでしまったのである。

感動できないことは損である

先の言論には続きがある。
「だから、私は感動できる側の人間であって良かった」
と言うのだ。

この背景にある考え方として以下の2つを推察した。

考え方a. 挫折経験を持っていて良かった
考え方b. 映画で感動できて良かった
 

aは、自分自信の深みとか、経験値とか、そういう人間的高度さを再確認できてよかった、という意味になってくる。

しかし、その前に「感動できないやつは〜」という他者判断が挟まっていたことを思い出そう。
発信者の主眼は「感動できないやつ」に置かれていて、その上で自分を「良かった」と言っている。
つまり、この考え方の根底にあるのは、己の挫折をしみじみ振り返る高潔な自己反省ではなく
「この作品で感動できないやつは、感動できた私より劣っている」
という、極めて品性に欠けた傲慢さだ。
こうなってくると、発信者が本当に、人間的成熟に足る挫折を経ているのかが、怪しくなってくる。
何より、前提に置いたこと(発信者は人間的な高度さを有している(と少なくとも自認している))との間で、矛盾を孕むことになる。
したがって、考え方aはどちらかといえばなさそうなものとして取り下げよう。

取り下げはしたものの、僕はなんとなく、発信者はこの考え方aをもって、僕のような非創作者を侮辱し、マウントしたのではないかと思っている。
したがって、上述の矛盾を付くことで、今の僕は発信者のやつに痛烈な一撃を喰らわせてやれたような気分でいる。
しめしめである。
私怨を晴らしたい点において、この文章の目論見としては大方満足したところである。

さて、続いて考え方b、感動できて良かった、という可能性についても中身を与えて、しっかり発信者をフォローしたい。
これは妥当な感想だと思う。
なぜなら映画市場では「泣ける!」がしばしばキャッチフレーズになっているように、感動できるかどうか(さらには涙を流せるかどうか)が、映画の体験価値のうち上位に置かれる項目であるからだ。
そういう考え方においては、映画で感動できないことは、損そのもので、避けなくてはならない。
だから「感動できて良かった」という素朴な感想が生まれてくる。
至ってシンプルだし、非常に理解できる。

一方で僕のように、感受性も感情の起伏も乏しい人間は、よほど"ハマった"作品でない限りは、創作を通して感動することはない。
僕は損をしてるのかもしれない。それは認める。

感動できなくとも創作は楽しめる

だがそういう人間なりに、創作を楽しんで享受することはできている。

創作を良きに足らしめる諸要素について、演出、音楽、演技や筆致、時間構造、ストーリー構造、メッセージ性を、あれこれ思索してみたり、いち材料として自己洞察を深めたりするのは、素朴ではないかもしれないが、楽しみ方としては悪くないものであると、そう信じている。

だからいずれ機を見て、劇場に足を運ぼうと思っている。感動できないやつであっても、ちゃんと作品を好きにはなれる。ルックバックという漫画は(というか藤本タツキ先生の漫画は)実直で好きだし、それがどう化けるのかは純粋に楽しみだ。


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