「この1日」に意味を見出すならば?のための合理的な自分なりの視点
この1日にもし意味があるとするのならば、私よりもはるかに頭脳が明晰で天才的な叡智をもった人々が先に解明している先人の智慧を駆使した方が、自分で気がつく範囲よりも参考にした方がよっぽど良いことが多いのは当たり前だよね
と、いつもそんな宇宙規模で決定づけるので、今日の日を知るのに、法則性のあるものをよく使います。
身近なところであれば、月の満ち欠け(太陽と月の影響)、各種の世界中の暦(こよみ)
数字の意味などなど、
それらがそれぞれ今日を何と意味づけているの?
ということを全部書き出して、それらをぼんやり眺めていると、ハッと共通点が繋がっていくので、多分今日はそれらに意識を向けて、味わってみよう、と考えるわけです。
(それを朝起きての6ミニッツダイアリーの時にやっています)
瞑想にも近い。
ストレングス内省1位の自分にはとても意味のある行為であり時間の使い方なんだけど、
易経も合わせて使っていて、たまたまここ数日は明日まで「沢水困(タクスイコン)」という卦となっています。
易の中でも三大難卦の一つ、ということで、やはりお客様のところでのこれはどうしたものか、、、という大問題が発生し、相談にのりながら見守ってサポートしていのだけれど、結果、ピンチはチャンスだから、と謙虚な姿勢で乗り切られ、なんとか着地されました。
もしかしたらかなり難しいのではないか?と心配したのですが、素直にこちらの非を認めて開くことで、あり得ないくらいよい着地をされました。
あとあとこの「沢水困」を見直すと、
困。亨。貞。大人吉无咎。有言不信。
(こんはとおる。だだし。たいじんはきちにしてとがなし。ことあるもしんじられず。)
とある。
やはり、享る方法があることが明示されていて、私たち相談にのるタイプの業界のものにはとても含蓄が深い。
というように一つ一つに意味を見出そうと思えば、私でも振り返りやデータの蓄積がしやすく(そもそも前しか向いていないタイプなので)、先人の智慧に頼り切りで、ある程度任せつつ、その中で自分の発見を持った方がとてもスムーズに自分らしい。
これが日々を前向きに過ごすコツといえばコツなのかな。
そりゃあ色々あるけどなるようになるでしょう、というのはなるようにしかならない、というのと同じ意味で、何もしない、何もできない、というのではなく、事前にそこに落ち着くところに落ち着くという自然の摂理そのものなんだろうな。
今朝はダイアリー書く時にそんなことを考えました
(Facebook投稿からの抜粋)