井上副会長様、「公共メディア」を担う気がないのならば、NHKはもう解体すべきです
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井上樹彦様、ご無沙汰しています。
先ごろ、NHK幹部に返り咲き、副会長に就任されたことで、どんなふうにNHKを公共メディアに変革してくれるのかと大いに期待しておりました。
しかしながら、29日夜に配信された日本経済新聞の記事を読んで、驚愕いたしました。それによると、テキストによるニュースのネット配信を縮小する可能性を示唆したとのこと。
これが事実であれば、大変残念で、強い失望を感じます。NHKの理事を退任後、「NHKアイテック」「放送衛星システム」の社長などを務められてきたとのこと。デジタルとはあまり縁がない仕事とはいえ、その雌伏の7年間で、いったいあなたは何を学んできたのでしょうか。
動画かテキストかが問題になっているわけではない
いまの時代、動画なのかテキストなのかという、そこが問題になっているわけではありません。何をおっしゃっているのか、さっぱり理解できません。そもそも世界のメディアがどんなコンテンツを作って送り届けているのか、見ていますか?今年のSociety for News Designのコンペティション作品をご覧になりましたか?それらに動画とテキストを峻別できるようなものがどれだけありましたか?
「いや民業圧迫と言われて」という人がいます。しかし本当にそこが焦点になっているでしょうか。いまNHKがやっているテキストをメインとしたコンテンツを全て取りやめたところで、「民業が回復」するなんてことはあり得ません。私はNHKを辞めてからの2年弱の間に、全国の新聞社や民放の10社以上で幹部ともお話しをする機会を得ましたが、皆さんが警戒しているのはテキストかどうかなんて単純な話ではなく、メディア全体が疲弊する中、法律に守られて「ひとり勝ち」状態のNHKに対してその姿勢を問うているのです。本来の意味で公共メディアに進化するのであれば、そこに真摯に向き合うべきで、弥縫策には何の意味もありません。
「命を守る」ためにはあらゆる伝送路が不可欠
逆に言えば、「放送だけ出していればいい」「ネットにもテレビの動画をそのまま流していればいい」のなら、もはやNHKには公共メディアになる資格さえありません。テレビというメディアにはおのずと技術上/演出上の限界があり、そのままでは「良質な情報を誰にでも等しく送り届ける」というNHKにとって最重要のミッションは実現不可能だからです。
NHKに公共メディア進化に向けての実験場、ネットワーク報道部を2017年に設立した背景には、東日本大震災がありました。理事退任後なので、もしかしたらご存じなかったかもしれません。
2011年の3月11日、私たちは必死にやったつもりでした。でも、結局は多くの命を守ることはできませんでした。テレビだけでは、アナウンサーが叫ぼうが、襲い来る大津波の映像をリアルタイムで世界に発信しようが、字幕スーパーで速報しようが、いまそこで必死で逃げようとしている人に情報を伝えることはできません。そのことを皆が痛感したはずです。
その報道を猛省し、なんとしてでも「今度こそ、命を守るためにあらゆる伝送路を使う」ことを協会として決意し、取り組んできました。それを投げ捨てるようなことは、「なんとしてでも命を守る」ための努力を放棄するに等しいとしか、私には映りません。
いつも言っていることですが、動画だろうが、テキストだろうが、ラジオだろうが、伝書鳩だろうが、糸電話だろうが、何でも使うべきなのです。そして、それは災害報道だけに限りません。守るべき命は遍在し、それぞれのテーマ、それぞれの送り先に最適な伝え方で「届け切る」ことを考えるべきなのです。
いまさら私から言うまでもありませんが、「良質な情報を誰にでも等しく送り届ける」という目的のため、多くの負担=受信料を強いている人たちへの説明もつかなくなります。
もちろん、受信料というのは放送法のもとでの制度なので、そこには大きなハードルがあります。しかしこれからの時代のために、総務省も新聞協会も民放連も、議論のテーブルについてくれているではありませんか。総務省のワーキンググループでは「NHKにネットの活用に向けた日本のメディアのリーダーとしての矜持を伺いたかった」という発言もあったと聞いています。なぜその機会を十分に生かそうとしないのでしょうか。
NHKを解体・再編し、新たな公共メディアを
今回の日経の記事を読んで確信しました。幹部がそのような古色蒼然たる考えしか持っていないようでは、やはり新たな公共メディアへの進化は期待はできません。
「公共メディア」を担えないのであれば、NHKはもう解体すべきです。
今、本当に必要なのはメディアの公共性を支える仕組みです。解体・再編成して新たな公共メディアを作ったほうが余程いいでしょう。いま受信料に代わる「公共メディア料金」というアイデアも出ていますが、それを担う対象ではないと自ら宣言してしまうわけですから。
今回のあなたの発言に、NHKの有為な若手・中堅こそが大きなショックを受けています。私は記事が出た翌日の朝、それを読んだ人たちからメールやメッセージをもらって記事に気づきました。
そしてフェイスブックに記事についてのコメントを載せたところ、さらに次々とメッセージが届いています。
私の周辺の年代ではなく、ずっと若い人たちがこのように語って失望しているのです。
もし、私が何を言っているのか分からないのでしたら、一度、ちゃんと議論しませんか。密室でも公開の場でも結構です。
覚えていらっしゃると思いますが、デスク時代、サシで飲んだこともあるじゃないですか。政治部幹部だったあなたが、社会部の一介の事件デスクであった私に大企業の取材先を紹介してくださいました。あの時はこんなに理解のある人がいるのかと、本当に感謝しました。
どうか、ご自分がどんな発言をしてしまったのか、よくよくお考え下さい。発言が記事通りでないのだとすれば、早急に訂正していただきたいです。
メディアを支える新たなメディアとして
私もメディアから取材を受けたり、講演を求められたりする機会が本当に増えました。お考えがそのままであれば、「NHK解体・再編論」を一層、拡散させていきたいと存じます。「ぶっこわす」のではなく、「本来のあるべき姿に再生させる」のが目的です。
決して、思いつきで言い出したことではありません。私はこれまで、こうしたオピニオン的なことに時間を割くのを極力避けてきました。ただ、各社のジャーナリストの皆さんからインタビューを受けたり、議論したりして考えを深める中で、次第と「公共メディア」を誰がどう担うのかを考えるようになってきました。
私は水道のような生活インフラとして、公共メディアという情報のインフラは必要だと思っています。ただ、それを担うのが今のままのNHKでいいのかどうか、そこをこそ、国民全体で今こそ議論すべきだと考えます。
そして、公共メディアは一つである必要はありません。新聞であろうが民放であろうが、すべてのメディアが公共性を担っています。むしろそれを支えるための新たな組織が、新公共メディアとして立ち上がってもいいのではないでしょうか。
(熊田安伸)